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2006.05.24
盛岡城
「岩手公園」の名前を変える、という話があるらしい。
岩手公園と言うのは、盛岡市の真ん中にあって
その昔「盛岡城」というお城があった名残。
そもそも「盛岡城」っていう呼び方自体が一般的じゃなくて、
改名論議の始まりは、なんで「盛岡」じゃなくて
「岩手」公園なんだってことなんだろうけど。
「100周年を目途に、名前を変えます」
・・・っていう判断が正しいのかどうか、次長は疑問。
普通はさ、100年続いたから今後100年も守っていきましょう
・・・ってのが自然な流れだと思うんだよね。
そこで、名前を変える大義名分が立つのかどうか。
それほどまでに「変える社会的要請」があるとは思えないんだけど。
「他にやることがあるだろ」
ずばり、その一言だね。
名前を変えるだけなら金かからねぇ位に思ってるとしたら
そういう金銭感覚は一掃してもらいたい。
例えば役所が部署名変えるだけで、どれだけのロスが出てるか。
実例で言うと、つい一ヶ月前の古い部署名で請求書受けても、
お役所ってのは受け付けないところ。
新しい部署名を事前に民間に知らせるなんて、気の利いたことはしないし、
間違ってるから直して出直せ、と言い放つのが仕事。
そこにまつわる効率を考えないのが公務員。
仮に改名が実現したとして、関連する看板や文書は全変更。
条例や地図やその他色々、すべてコストが発生するわけ。
そこで一部の業者は潤うだろうけど、このご時世に
完璧な移行を果たすことがどれだけのメリットを生むのか。
メリットデメリットを比較したら、今そんなことしてる場合じゃないでしょ。
「盛岡城」って言われても、実際、市民はピンとこないよ。
これを改めるってことなら、他にいくらでもやり方はあるでしょ。
どこかにお城の一部分を復元するとかさ。
名前を変えるっていうことは、これまでの100年を否定するってこと。
「岩手公園が生まれて100周年」なのに、仮にこの名を完全に消すって言うのなら、
これを期に改めるっていう発想がそもそもおかしい。
もっとおかしいのは、世論が沸くでもなく、降って湧いたようにこういう話が持ち上がること。
市民不在の盛岡市と言うのか、誰が決めたのかすら不明。
はじめに改名ありき、で進むのが間違いだし、
新聞とかテレビでも「?」つきの報道が目立つ。
誰が納得して進んでるのかわからないんだよね。
「正式名称として『岩手公園』は残るので、あくまでも愛称です」
っていういい訳が痛いし、どう見ても各方面から反対があるんだろう。
でもさ、そういう中途半端な「愛称」ってのが問題なわけ。
じゃ、今までの名前は愛されてこなかったのか?
そういう議論にまで達するよ。
この続きはまた。
面白い「愛称の失敗例」があるんで。
岩手公園と言うのは、盛岡市の真ん中にあって
その昔「盛岡城」というお城があった名残。
そもそも「盛岡城」っていう呼び方自体が一般的じゃなくて、
改名論議の始まりは、なんで「盛岡」じゃなくて
「岩手」公園なんだってことなんだろうけど。
「100周年を目途に、名前を変えます」
・・・っていう判断が正しいのかどうか、次長は疑問。
普通はさ、100年続いたから今後100年も守っていきましょう
・・・ってのが自然な流れだと思うんだよね。
そこで、名前を変える大義名分が立つのかどうか。
それほどまでに「変える社会的要請」があるとは思えないんだけど。
「他にやることがあるだろ」
ずばり、その一言だね。
名前を変えるだけなら金かからねぇ位に思ってるとしたら
そういう金銭感覚は一掃してもらいたい。
例えば役所が部署名変えるだけで、どれだけのロスが出てるか。
実例で言うと、つい一ヶ月前の古い部署名で請求書受けても、
お役所ってのは受け付けないところ。
新しい部署名を事前に民間に知らせるなんて、気の利いたことはしないし、
間違ってるから直して出直せ、と言い放つのが仕事。
そこにまつわる効率を考えないのが公務員。
仮に改名が実現したとして、関連する看板や文書は全変更。
条例や地図やその他色々、すべてコストが発生するわけ。
そこで一部の業者は潤うだろうけど、このご時世に
完璧な移行を果たすことがどれだけのメリットを生むのか。
メリットデメリットを比較したら、今そんなことしてる場合じゃないでしょ。
「盛岡城」って言われても、実際、市民はピンとこないよ。
これを改めるってことなら、他にいくらでもやり方はあるでしょ。
どこかにお城の一部分を復元するとかさ。
名前を変えるっていうことは、これまでの100年を否定するってこと。
「岩手公園が生まれて100周年」なのに、仮にこの名を完全に消すって言うのなら、
これを期に改めるっていう発想がそもそもおかしい。
もっとおかしいのは、世論が沸くでもなく、降って湧いたようにこういう話が持ち上がること。
市民不在の盛岡市と言うのか、誰が決めたのかすら不明。
はじめに改名ありき、で進むのが間違いだし、
新聞とかテレビでも「?」つきの報道が目立つ。
誰が納得して進んでるのかわからないんだよね。
「正式名称として『岩手公園』は残るので、あくまでも愛称です」
っていういい訳が痛いし、どう見ても各方面から反対があるんだろう。
でもさ、そういう中途半端な「愛称」ってのが問題なわけ。
じゃ、今までの名前は愛されてこなかったのか?
そういう議論にまで達するよ。
この続きはまた。
面白い「愛称の失敗例」があるんで。
2006.05.09
イオン
映画好きな嫁が、DVDを借りてきた。
大したことない映画も、ごっついサラウンドだと
全米も泣いてしまうわけで、
そんな経験則を共有している次長は、
シネコンもない土地で不平一つ言わない彼女が、不憫でならない。
おれのせいじゃないけど。
そのタイトルが、「下妻物語」
ずっとレンタル中のタグがついてて、
売れ筋なんだそうだ。
どう見ても少女漫画系なのでどうかと思ったが、
原作は面白いと言うので、観た。
・・・・確かに、おもろい。(笑)
茨城県下妻市っていう、ドがつく田舎が舞台なんだけど、
何が「おもろい」って、
田舎の実態を余すことなく捉えているところ。
実際そうだけど、あんまり言えないよね、ってことを
あからさまに言ってる勇気っていうか。
茨城の特攻服着たヤンキー暴走娘と、
東京に憧れてるファッション一辺倒の登校拒否気味な少女。
どっちも「いかにも」って想定。
田舎にありがちな「地域限定伝説」とか、
「トンデモ系巨大建築物(ここでは牛久大仏)」
とどめが、「何でも揃ってるジャスコ」
「ジャスコに行けば何でもあるのに、あんたはなんで東京なんかいくだ?」って台詞があるんだけど、
これが痛烈な田舎へのアンチテーゼなんだよね。
八百屋の旦那もお客もみんな、ジャスコで買った激安な服を着てて、
その価格まで出てきて、チラシの写真みたいに並べられる。
「ジャスコの夏物大市」なんて文字まで重ねられて。
しかも、それでいてエンディングロールの協力欄に「イオン株式会社」って出てくるのがすごい。
この懐の深さは、さすがだよね。
さすがにこれ、宣伝にはならない気がするんだけど。
実際、ジャスコ(と付帯するショッピングモール)には何でもあるわけで、
「とりあえず今押さえておくべきもの」が集まってる。
これが田んぼの真ん中にドカンとやってくるモデルは、
ライフスタイルを一変させるよね。
こういう一面だけで、
「ジャスコは脅威(驚異?)」っていう意見が田舎にはびこりがちなんだけど、ホントにそうなの?
盛岡にイオンが無かったら、どれだけ狭い選択肢しかないの?って思う。
全ての人がイオンだけに駆け込むなんて、およそ盛岡じゃ考えられない光景。
ま、最初の半年までは盛り上がるだろうけど、すぐ飽きるんだよね、この辺の人って。
はっきり言って「身の丈以上の要求が大きい」(笑)
ちゃんと使い分けが出来てるわけ。
手に入らないものは、楽天とか通販で取り寄せてるから。
野菜は親戚に貰ったりとか、朝市とかよ市とか産直で買うスタイルがもう、確立されてるし。
あと、地元系スーパーも人口に比べて多いほうだと思う。
せいぜい、脅威に感じてる人たちは、大都市が近くになかったことを幸運に思うべきだね。
人が流れて市外で買い物される方が、よほど脅威だと思うよ。
地域よれば、ショッピングモールの核店舗がデパートだったりすることもあるから。
口にはしなくても、深く思って考えてる市民だから、
たぶん商業者にとっては「消費者層」が知識を蓄えて要求を始めるのが怖いんだよね。
晴れて盛岡にもイオンが出来たってことは、
もう田舎での出店はなし終えたと見るべきだろうね。(笑)
全国チェーンの盛岡出店て、大抵「大トリ」だから。
イオンがあって、ド田舎でも得られる環境を盛岡で得られる喜び。
今まで盛岡は、県庁所在都市の面をかぶりながら、
ド田舎にも満たない脆弱な商業環境だったってこと。
そういう有り難さを、考えないとね。
実際、イオンってすごく便利。
大したことない映画も、ごっついサラウンドだと
全米も泣いてしまうわけで、
そんな経験則を共有している次長は、
シネコンもない土地で不平一つ言わない彼女が、不憫でならない。
おれのせいじゃないけど。
そのタイトルが、「下妻物語」
ずっとレンタル中のタグがついてて、
売れ筋なんだそうだ。
どう見ても少女漫画系なのでどうかと思ったが、
原作は面白いと言うので、観た。
・・・・確かに、おもろい。(笑)
茨城県下妻市っていう、ドがつく田舎が舞台なんだけど、
何が「おもろい」って、
田舎の実態を余すことなく捉えているところ。
実際そうだけど、あんまり言えないよね、ってことを
あからさまに言ってる勇気っていうか。
茨城の特攻服着たヤンキー暴走娘と、
東京に憧れてるファッション一辺倒の登校拒否気味な少女。
どっちも「いかにも」って想定。
田舎にありがちな「地域限定伝説」とか、
「トンデモ系巨大建築物(ここでは牛久大仏)」
とどめが、「何でも揃ってるジャスコ」
「ジャスコに行けば何でもあるのに、あんたはなんで東京なんかいくだ?」って台詞があるんだけど、
これが痛烈な田舎へのアンチテーゼなんだよね。
八百屋の旦那もお客もみんな、ジャスコで買った激安な服を着てて、
その価格まで出てきて、チラシの写真みたいに並べられる。
「ジャスコの夏物大市」なんて文字まで重ねられて。
しかも、それでいてエンディングロールの協力欄に「イオン株式会社」って出てくるのがすごい。
この懐の深さは、さすがだよね。
さすがにこれ、宣伝にはならない気がするんだけど。
実際、ジャスコ(と付帯するショッピングモール)には何でもあるわけで、
「とりあえず今押さえておくべきもの」が集まってる。
これが田んぼの真ん中にドカンとやってくるモデルは、
ライフスタイルを一変させるよね。
こういう一面だけで、
「ジャスコは脅威(驚異?)」っていう意見が田舎にはびこりがちなんだけど、ホントにそうなの?
盛岡にイオンが無かったら、どれだけ狭い選択肢しかないの?って思う。
全ての人がイオンだけに駆け込むなんて、およそ盛岡じゃ考えられない光景。
ま、最初の半年までは盛り上がるだろうけど、すぐ飽きるんだよね、この辺の人って。
はっきり言って「身の丈以上の要求が大きい」(笑)
ちゃんと使い分けが出来てるわけ。
手に入らないものは、楽天とか通販で取り寄せてるから。
野菜は親戚に貰ったりとか、朝市とかよ市とか産直で買うスタイルがもう、確立されてるし。
あと、地元系スーパーも人口に比べて多いほうだと思う。
せいぜい、脅威に感じてる人たちは、大都市が近くになかったことを幸運に思うべきだね。
人が流れて市外で買い物される方が、よほど脅威だと思うよ。
地域よれば、ショッピングモールの核店舗がデパートだったりすることもあるから。
口にはしなくても、深く思って考えてる市民だから、
たぶん商業者にとっては「消費者層」が知識を蓄えて要求を始めるのが怖いんだよね。
晴れて盛岡にもイオンが出来たってことは、
もう田舎での出店はなし終えたと見るべきだろうね。(笑)
全国チェーンの盛岡出店て、大抵「大トリ」だから。
イオンがあって、ド田舎でも得られる環境を盛岡で得られる喜び。
今まで盛岡は、県庁所在都市の面をかぶりながら、
ド田舎にも満たない脆弱な商業環境だったってこと。
そういう有り難さを、考えないとね。
実際、イオンってすごく便利。
2006.05.07
小京都
その昔、盛岡は「みちのくの小京都」と言われていた。
なんで過去形で話すのかっていうと、
今はほとんど、そういう呼び方がされていないから。
景観から小京都の面影がなくなってきた、というのがまずあるんだけど、
なにより大きいのは、そういう意識が伝承されてこなかったのが理由だろうね。
一時期、盛岡の景観や環境に対する意識の高さは目を見張るものがあって、
そういう「遺産」が所々に残っているわけ。
例えば、中津川あたりの景色とか、岩手山の眺望とか。
それがかろうじて、「らしさ」を残してる。
ところが、それを大っぴらに継承してこないから、
どこかでプツンと切れてる。
だんだん、これも壊されていくんだろう。
「言わなくても感覚で分かるだろう」って思い込み。
岩手じゃそういうことがよくあるんだけど、
これが通用するとおもってるのは岩手県民の悪いところ。
言わなきゃ分からないわけですよ、昔ならともかく。
言われないから知りませんでした、
知らないから工事をやりました、
やったら景観が壊れてました。
でもそれを制限する法律はないでしょ?
なんで私が悪いの?
…っていう東京の業者は多いと思います。(笑)
法的根拠のない暗黙の了解なんて、
田舎でしか通用しないわけ。
それはときに美しいんだけど、今の時代にはそぐわない。
求められる理想の盛岡像があるなら、それを明文化すべきだよね。
大昔からの時代の流れを知っているオッチャンオバチャンと、
その子どもとか孫とかの世代、
どこぞからやってきたニーチャンネーチャンの間に、
想像を超えた「世代の意識差」が立ちはだかっている。
「求めるべき盛岡像」の方向性が明らかに違う。
「らしさ」を正しく伝えていけば、
盛岡がつまらない街になる危険性は下がるよね。
ところがそういう努力を、どこかで履き違えてる。
例えば長野県民が全員「信濃の国」ていう県民歌を叩き込まれてるときに、
(長野の人は誰でも歌えるから驚く)
盛岡ではピンポイントとは言え、自我も芽生えない子どもが
「とーちゃんかーちゃん東京へつれてって」って歌いながら踊ってるわけ。(「我が子」の項ご参照)
これは明らかに、地域に対する大人の意識の問題だよね。
そんな踊りより、さんさ踊りが先だ。(笑)
住んでいる地域を良くしようっていう感覚が、まだ低いんだと思う。
町を良くするってことは人を良くする事で、
「内の人」は「外の人」や「次の世代の人」にそれを継承する努力が必要なんだよ。
これは話すと長くなるんだけど、成功体験の少ない地域だから、
「経済力のある地域に及びようがない」っていうあきらめがある。
まぁはっきり言うと、「自虐史観」だよね。
都会に対する、西日本に対する、後進地域という意識。
ところがこれは誤解も多くて、盛岡は文化的には結構厚みがある。
ここに生まれる障碍はすべて「教育の問題」で、ここから変えないと意識は変わらない。
これけっこう根深い話だから、また書くね。
一時期、誇り高く「小京都」を歌っていた地域が、それを語らなくなったっていうのは、
外との断絶が不可能になった今、手段が無くて途方に暮れてるってことなんだよ、たぶん。
なんで過去形で話すのかっていうと、
今はほとんど、そういう呼び方がされていないから。
景観から小京都の面影がなくなってきた、というのがまずあるんだけど、
なにより大きいのは、そういう意識が伝承されてこなかったのが理由だろうね。
一時期、盛岡の景観や環境に対する意識の高さは目を見張るものがあって、
そういう「遺産」が所々に残っているわけ。
例えば、中津川あたりの景色とか、岩手山の眺望とか。
それがかろうじて、「らしさ」を残してる。
ところが、それを大っぴらに継承してこないから、
どこかでプツンと切れてる。
だんだん、これも壊されていくんだろう。
「言わなくても感覚で分かるだろう」って思い込み。
岩手じゃそういうことがよくあるんだけど、
これが通用するとおもってるのは岩手県民の悪いところ。
言わなきゃ分からないわけですよ、昔ならともかく。
言われないから知りませんでした、
知らないから工事をやりました、
やったら景観が壊れてました。
でもそれを制限する法律はないでしょ?
なんで私が悪いの?
…っていう東京の業者は多いと思います。(笑)
法的根拠のない暗黙の了解なんて、
田舎でしか通用しないわけ。
それはときに美しいんだけど、今の時代にはそぐわない。
求められる理想の盛岡像があるなら、それを明文化すべきだよね。
大昔からの時代の流れを知っているオッチャンオバチャンと、
その子どもとか孫とかの世代、
どこぞからやってきたニーチャンネーチャンの間に、
想像を超えた「世代の意識差」が立ちはだかっている。
「求めるべき盛岡像」の方向性が明らかに違う。
「らしさ」を正しく伝えていけば、
盛岡がつまらない街になる危険性は下がるよね。
ところがそういう努力を、どこかで履き違えてる。
例えば長野県民が全員「信濃の国」ていう県民歌を叩き込まれてるときに、
(長野の人は誰でも歌えるから驚く)
盛岡ではピンポイントとは言え、自我も芽生えない子どもが
「とーちゃんかーちゃん東京へつれてって」って歌いながら踊ってるわけ。(「我が子」の項ご参照)
これは明らかに、地域に対する大人の意識の問題だよね。
そんな踊りより、さんさ踊りが先だ。(笑)
住んでいる地域を良くしようっていう感覚が、まだ低いんだと思う。
町を良くするってことは人を良くする事で、
「内の人」は「外の人」や「次の世代の人」にそれを継承する努力が必要なんだよ。
これは話すと長くなるんだけど、成功体験の少ない地域だから、
「経済力のある地域に及びようがない」っていうあきらめがある。
まぁはっきり言うと、「自虐史観」だよね。
都会に対する、西日本に対する、後進地域という意識。
ところがこれは誤解も多くて、盛岡は文化的には結構厚みがある。
ここに生まれる障碍はすべて「教育の問題」で、ここから変えないと意識は変わらない。
これけっこう根深い話だから、また書くね。
一時期、誇り高く「小京都」を歌っていた地域が、それを語らなくなったっていうのは、
外との断絶が不可能になった今、手段が無くて途方に暮れてるってことなんだよ、たぶん。
2006.05.01
目立つ
あんまり皆意識してないんだけど、
田舎で許されない規範ってあるんだよね。
「目立つ」って、田舎だと明らかに良くない意味。
「人と違うことはいけないこと」っていう意識ですよ。
ところが大阪辺りに行くと、
「目立つ」のが当たり前で、
「地味」っていうのは人をけなす意味を持つ。
東京あたりでも、「地味じゃない?」ってあんまりいい意味じゃない。
むしろ「シック」っていうのがかなりいい意味で使われるかな。
博多だと、派手なものも派手っていう意識は低いかも。
町自体が意外と地味な割に。
「抜きん出て良い」って言う意味で
「目立ってるね」って言ったら、
露骨に嫌な顔されたよ。
目立つことって、そんなにおかしなことじゃないのにさ。
文化摩擦だね、もうこれは。
田舎で許されない規範ってあるんだよね。
「目立つ」って、田舎だと明らかに良くない意味。
「人と違うことはいけないこと」っていう意識ですよ。
ところが大阪辺りに行くと、
「目立つ」のが当たり前で、
「地味」っていうのは人をけなす意味を持つ。
東京あたりでも、「地味じゃない?」ってあんまりいい意味じゃない。
むしろ「シック」っていうのがかなりいい意味で使われるかな。
博多だと、派手なものも派手っていう意識は低いかも。
町自体が意外と地味な割に。
「抜きん出て良い」って言う意味で
「目立ってるね」って言ったら、
露骨に嫌な顔されたよ。
目立つことって、そんなにおかしなことじゃないのにさ。
文化摩擦だね、もうこれは。
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