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2006.11.24
地方の病理
どこの地方でもあることなんだけど、
とりわけ酷いなって思うのが、「高校名至上主義」
どんな大学出てても、まずそれは置いといて、
「どこの高校出てんの?」って真顔で訊く。
大の大人が、まるで初対面の挨拶代わりに
そんなことを唐突に、訊く。
そこには親しみを込めている側面もあるんだけど、
いわゆる「どれぐらいの頭の良さ」なのかを確認する儀式でもあり、
自分との距離や上下を確かめるための口答試験でさえある。
一番驚くのが、
某高校を通過したことが分かると、
「へぇ〜っ!すごいね、○○高校出てるなんて!」と
何の臆面も無く言い放つ大人が多いことである。
しかもそういう面々は、大抵40歳前後より上の年代だ。
全く、これは「地方の病理」と呼ぶほか無い。
たかが出身高校の名前で、そこまで驚けるなんて、
これまでどんなに驚きの無い人生だったんだ、いったい。
しかもいつまでも、そのネタ一辺倒。
言われて喜んでる人間がいるからどっちもどっちだが、
今どき、そこまで賞賛するほどの価値観があるとは思えない。
少なくとも、能力なんて個人差の問題だし、
学校の勉強ができることだけで人の価値がはかれ無いなら、
なおさら問題だよ。
ところが、
公務員、特に教職員の世界では、いまだにこんな価値観が
ごくごく当たり前のこととして、まかり通っているらしい。
こういう人たちに教育される子どもは、本当に不幸だと思う。
岩手県など少数の地域に見られる特異な現象として、
特定高校に入らんがために、中学浪人なんてものが
特に珍しくも無く存在していた事実がある。
そこまでして、特定の高校にこだわるのは、
岩手で生きていくうえで、出身高校名が大変な意味を持つからである。
県外へ出て、中学浪人していたなんて言ったら、
逆に驚かれることすら知らずに。
子を持つ親として言わせて貰えば、
多くの教師が同じような大学を出て、岩手県のことしか知らないような
そんな教員に子どもの教育を預けることに、大きな不安がある。
現職の、同じような背景に生きてきた人にしてみれば、
地元採用重視にこだわりたいのかも知れないけど、
むしろ岩手県以外の人を積極的に教員として採用してもらいたい。
この先、どの子も岩手県の中でだけ生きるわけじゃないんだから。
人の流動が少ない地域では、
とかく隠蔽体質みたいなものが醸成されやすい。
「昔からやってきたこと」が正しくないと感じるには、
新しい価値観や感性を導入するしかないんじゃないのかな?
教育界っていうのは、その最たる物。
最近顕在化している「いじめ」の問題だって、
増えているわけじゃなく、表ざたになっているだけの話。
岩手の枠組みだけでなく、広い視野で物を見つめられる
現職知事が今期限りというのは、同時にいろんな不安も掻き立てられるね。
とりわけ酷いなって思うのが、「高校名至上主義」
どんな大学出てても、まずそれは置いといて、
「どこの高校出てんの?」って真顔で訊く。
大の大人が、まるで初対面の挨拶代わりに
そんなことを唐突に、訊く。
そこには親しみを込めている側面もあるんだけど、
いわゆる「どれぐらいの頭の良さ」なのかを確認する儀式でもあり、
自分との距離や上下を確かめるための口答試験でさえある。
一番驚くのが、
某高校を通過したことが分かると、
「へぇ〜っ!すごいね、○○高校出てるなんて!」と
何の臆面も無く言い放つ大人が多いことである。
しかもそういう面々は、大抵40歳前後より上の年代だ。
全く、これは「地方の病理」と呼ぶほか無い。
たかが出身高校の名前で、そこまで驚けるなんて、
これまでどんなに驚きの無い人生だったんだ、いったい。
しかもいつまでも、そのネタ一辺倒。
言われて喜んでる人間がいるからどっちもどっちだが、
今どき、そこまで賞賛するほどの価値観があるとは思えない。
少なくとも、能力なんて個人差の問題だし、
学校の勉強ができることだけで人の価値がはかれ無いなら、
なおさら問題だよ。
ところが、
公務員、特に教職員の世界では、いまだにこんな価値観が
ごくごく当たり前のこととして、まかり通っているらしい。
こういう人たちに教育される子どもは、本当に不幸だと思う。
岩手県など少数の地域に見られる特異な現象として、
特定高校に入らんがために、中学浪人なんてものが
特に珍しくも無く存在していた事実がある。
そこまでして、特定の高校にこだわるのは、
岩手で生きていくうえで、出身高校名が大変な意味を持つからである。
県外へ出て、中学浪人していたなんて言ったら、
逆に驚かれることすら知らずに。
子を持つ親として言わせて貰えば、
多くの教師が同じような大学を出て、岩手県のことしか知らないような
そんな教員に子どもの教育を預けることに、大きな不安がある。
現職の、同じような背景に生きてきた人にしてみれば、
地元採用重視にこだわりたいのかも知れないけど、
むしろ岩手県以外の人を積極的に教員として採用してもらいたい。
この先、どの子も岩手県の中でだけ生きるわけじゃないんだから。
人の流動が少ない地域では、
とかく隠蔽体質みたいなものが醸成されやすい。
「昔からやってきたこと」が正しくないと感じるには、
新しい価値観や感性を導入するしかないんじゃないのかな?
教育界っていうのは、その最たる物。
最近顕在化している「いじめ」の問題だって、
増えているわけじゃなく、表ざたになっているだけの話。
岩手の枠組みだけでなく、広い視野で物を見つめられる
現職知事が今期限りというのは、同時にいろんな不安も掻き立てられるね。
2006.11.16
無知の幸福
高校の未履修問題に関連して、
「田舎に予備校がないから公立高校が未履修(で受験対策)って本当なのか?」
っていう疑惑の目が岩手県ほか、所謂「田舎」に向けられてる。
無理も無いと思う。
所得を含めた経済格差とか、あらゆる場での「地域格差」っていうものに、現代人は比較的無意識だ。
「こんな現代で、都会と田舎ってそんなに違うの?」って訊かれたら、
「全然違うよ、お互いが知らないだけで」と答えるほか、ないだろう。
ただ、情報の送り手としての都会人は、田舎の現実なんてものはわからないから、
田舎が都会の文部科学省の与り知らぬところで、
日本国の定めを侵してまで予備校みたいなことをやってケシカラン!
・・っていう構図でしか物を語れないわけ。
一方で田舎の人は、都会の人とは明らかに生活水準が違うことを自覚しているのに、
田舎同士でも大きな較差があることには、無自覚だ。
とかく、岩手での他との比較対象は仙台や東京だけだけど、
関西とか瀬戸内とか九州ってのは、また別格で、
各時代で日本全体の経済を担ってきた自負があるから、
それなりの経済的豊かさとか誇りが背景には存在してるんだよね。
でも、東北は違う。
経済って言うバックボーンは、全般的にあんまりない。
自負っていうほどの気概はない。
格差と言う切り口で言えば、
岩手が「日本のチベット」って呼ばれた過去は、明確な「後進地帯」としての外部評価なんだけど、
もはやそれを、内外で口にする人すらいないし、
当時の意味で言えば、チベットにも岩手にも失礼なんだけど、
今にしてみればそういう呼び方って、岩手に対しての最大級の賛辞にすら取れるわけ。
あの仏教文化の平泉が世界遺産登録されたら、なおさら。
出張で盛岡に戻って、東北新幹線を降りると、
盛岡駅の階段正面に「平泉の仏教文化を世界遺産へ」っていう
岩手県教育委員会のでっかい看板があるんだけど、
あれはホント、素晴らしいと思う。
場所といい、内容といい、
岩手を訪れた人、岩手に戻ってきた人に対しては、
岩手の気概を示す一番ふさわしい伝達手段だ。
あれを教育委員会がやるってことに、大きな意味があるだろう。
さて、「そういう価値観の転換期(当時の意味での脱チベット)」を越えても、
程度の差こそあれ、今なお格差って言うのは明確に存在していて、
これまで敢えて意識しなかっただけで、
昔からずっと存在しているわけだ。
意識しなかった、知らなかった頃は幸せだったんだけど、
小泉政権の攻撃材料として使われることによって、
「格差拡大は不幸の始まり」と、今さらながらの意識改革。
敢えて言われて見ると、不幸感が、増すよね?
大学進学率の西高東低傾向っていうのは、
そのまんま「日本列島の東西所得格差」の表れだし、
そうした事実は問題にしにくいから、顕在化されてなかっただけだと思う。
経済的に遅れてきた東北は、意識改革だって遅れてきたし、
新しい価値観を取り入れる進取の気質だって生まれにくかったってこと。
今になって「高校が予備校化してる」って批判する向きがあるけど、
現実を現実のものとして受け入れる風土が生まれてるってことは、
岩手県の大躍進だと言えるんじゃないの?
「高校は予備校じゃない」っていうキレイゴトが、まかり通っていたとすれば、
今より岩手県はもっと酷い地位に落とし込まれていたわけ。
10年以上も前の時点で、
県レベルで高校の学力水準を上げるのは、その県出身の官僚を増やして、
予算獲得からはじまって県全体のレベルアップに繋げるため、
っていう明確なコンセプトをもってやってる県があったよ。
その県は、今回の未履修問題では全国で唯一「該当校なし」って報告が上がってたけど。(笑)
一方で岩手県は、
クルマの組立工場を誘致して、そこに送り込む人材を養成するために、
ここ数年で工業高校の定員を増加してるわけ。
どちらがいいとか悪いとか、言うつもりは無いけど、
現実に同じ田舎でも、これだけやってることと歴史が違うってことを、次長は言っておきたい。
知らないってことは、幸せなことでもあり、不幸なことでもあるから。
気概っていうのは、社会的背景にも裏打ちされてるんだよね。
「田舎に予備校がないから公立高校が未履修(で受験対策)って本当なのか?」
っていう疑惑の目が岩手県ほか、所謂「田舎」に向けられてる。
無理も無いと思う。
所得を含めた経済格差とか、あらゆる場での「地域格差」っていうものに、現代人は比較的無意識だ。
「こんな現代で、都会と田舎ってそんなに違うの?」って訊かれたら、
「全然違うよ、お互いが知らないだけで」と答えるほか、ないだろう。
ただ、情報の送り手としての都会人は、田舎の現実なんてものはわからないから、
田舎が都会の文部科学省の与り知らぬところで、
日本国の定めを侵してまで予備校みたいなことをやってケシカラン!
・・っていう構図でしか物を語れないわけ。
一方で田舎の人は、都会の人とは明らかに生活水準が違うことを自覚しているのに、
田舎同士でも大きな較差があることには、無自覚だ。
とかく、岩手での他との比較対象は仙台や東京だけだけど、
関西とか瀬戸内とか九州ってのは、また別格で、
各時代で日本全体の経済を担ってきた自負があるから、
それなりの経済的豊かさとか誇りが背景には存在してるんだよね。
でも、東北は違う。
経済って言うバックボーンは、全般的にあんまりない。
自負っていうほどの気概はない。
格差と言う切り口で言えば、
岩手が「日本のチベット」って呼ばれた過去は、明確な「後進地帯」としての外部評価なんだけど、
もはやそれを、内外で口にする人すらいないし、
当時の意味で言えば、チベットにも岩手にも失礼なんだけど、
今にしてみればそういう呼び方って、岩手に対しての最大級の賛辞にすら取れるわけ。
あの仏教文化の平泉が世界遺産登録されたら、なおさら。
出張で盛岡に戻って、東北新幹線を降りると、
盛岡駅の階段正面に「平泉の仏教文化を世界遺産へ」っていう
岩手県教育委員会のでっかい看板があるんだけど、
あれはホント、素晴らしいと思う。
場所といい、内容といい、
岩手を訪れた人、岩手に戻ってきた人に対しては、
岩手の気概を示す一番ふさわしい伝達手段だ。
あれを教育委員会がやるってことに、大きな意味があるだろう。
さて、「そういう価値観の転換期(当時の意味での脱チベット)」を越えても、
程度の差こそあれ、今なお格差って言うのは明確に存在していて、
これまで敢えて意識しなかっただけで、
昔からずっと存在しているわけだ。
意識しなかった、知らなかった頃は幸せだったんだけど、
小泉政権の攻撃材料として使われることによって、
「格差拡大は不幸の始まり」と、今さらながらの意識改革。
敢えて言われて見ると、不幸感が、増すよね?
大学進学率の西高東低傾向っていうのは、
そのまんま「日本列島の東西所得格差」の表れだし、
そうした事実は問題にしにくいから、顕在化されてなかっただけだと思う。
経済的に遅れてきた東北は、意識改革だって遅れてきたし、
新しい価値観を取り入れる進取の気質だって生まれにくかったってこと。
今になって「高校が予備校化してる」って批判する向きがあるけど、
現実を現実のものとして受け入れる風土が生まれてるってことは、
岩手県の大躍進だと言えるんじゃないの?
「高校は予備校じゃない」っていうキレイゴトが、まかり通っていたとすれば、
今より岩手県はもっと酷い地位に落とし込まれていたわけ。
10年以上も前の時点で、
県レベルで高校の学力水準を上げるのは、その県出身の官僚を増やして、
予算獲得からはじまって県全体のレベルアップに繋げるため、
っていう明確なコンセプトをもってやってる県があったよ。
その県は、今回の未履修問題では全国で唯一「該当校なし」って報告が上がってたけど。(笑)
一方で岩手県は、
クルマの組立工場を誘致して、そこに送り込む人材を養成するために、
ここ数年で工業高校の定員を増加してるわけ。
どちらがいいとか悪いとか、言うつもりは無いけど、
現実に同じ田舎でも、これだけやってることと歴史が違うってことを、次長は言っておきたい。
知らないってことは、幸せなことでもあり、不幸なことでもあるから。
気概っていうのは、社会的背景にも裏打ちされてるんだよね。
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