専ら、ホームベーカリー依存型の我が家である。

別に節約が為されているようにも思えないし、
単に「文明の利器を使ってみたい」という細君の意見に従ったまで。
焼きたては確かに美味い。
が、やはりそこは技術料の差。
おいしいパン屋があると聞けば、勇んで出かけたものである。

ボワ・ド・ヴァンセンヌ。
そんな名前のパン店があったことを、この事態に到るまで知らなかった。
この店は、ついこの間閉店して、もはやその内容も伝聞に頼るのみである。

厳密に言えば、この店は無くなったのではなく、移転したそうだ。
しかもその先はといえば、花の都・大東京。
店主の故郷が東京で、言わば帰郷(帰京?)である。

ご本人のブログを辿ると、
盛岡の人口規模では成立しなかった旨、書かれている。
どんな料金設定だったかは知るよしも無いが、
いいものを作れば、それだけコストがかかるのは当然。
それを理解して購入する人の絶対数は、確かに都会の方が大きいだろう。
無いと聞けば食べたくなるのが人情。
だが、その憧れのパン店は、遥か東京へと帰っていった。

これだけ小さな町の中で、
人づてに噂は飛び交ってゆくのに、
そんな素晴らしい店があったことを知らず、残念に思う。
これは次長のネットワーク力の低さに起因するのかもしれないが、
いい店をいい店と認めて、住む人が育ててゆく、という意識は必要である。

ところで近頃、盛岡の町で感じることがあるのだが・・・・。

1、オリジナルな感性を活かした若き経営者が増えている。
2、短期労働による低収入な若年層が増えている。
3、外国人労働者が盛岡を離れ始めている。
4、店による客層の分化現象が顕著。
5、消費者金融のATMに出入りが多い。

あくまでも感覚的なものだが、「階層化」が進んでいることを肌で感じる。
例えば、対向車のライトが片側だけ切れている例、
信じられないことだがこの数週間で6,7台は見ている。
一種の流行?とも考えたが、そもそも法令違反。
壊れても直さない、直せない、そんな人が増えているのではないのか。

必需品ともいえる自家用車のパーツに手が廻らないというのは、
明らかに「貧困化」の一側面であるように思うのだが。

そんな状況下で、たとえ上質でも美味しくても売れないパンがある。
本当に残念なことだが、十年以上も盛岡にあって、
ここへ来て売れなくなったと言うのは、他でもなく
「パンを選ぶ余裕の無い暮らし」に起因するものだろう。

米消費は減り、上質なパンは買えず、
スーパーの特売食パンで生活をしのぐ姿が、
現実の地方都市経済なのだろうか。

実際、大多数はそうした方向へ流れているのかも知れない。
そんなさなかに、次長は南部小麦の地産地消を
ささやかながら推進していくとするか・・・・。

ホームベーカリーの長所は、
「要らない物は入れない」という選択肢があること。
何が入っているのかが分かるというのは、
食品業界大揺れの今だからこそ、意味を深めるわけで。

本当、食育という概念がもっと普及していたら、
日本の消費動向も変わるはずなのに、ね。
妙にコンクリート臭の漂う文字ではある。

盛岡市が、いわゆる「盛南開発地区」に遺した、大いなる遺産。
それが、「主要行政施設用地」。

将来の市庁舎移転予定地を中心に都市開発、と触れ込み、
盛岡発展の大義名分の下、美田を新都市へと変貌させた。

多くの人は先祖伝来の土地を手放し、または減歩してお上に従った。
その結果、「市庁舎は移転しないよ♪」とのあっさり回答。
一体、住民にとってこの仕打ちは何なんだ、という話。

そもそも、市には本当に市庁舎を移転する気があったのか。
「市長も代わって」「経済状況が芳しくなく」とは、
およそ理由にならない言い訳である。
まずもって、移転を進める気があるのなら、なぜ先に購入しておくとか、
百歩譲って「積み立て」という当たり前の備えをして来なかったのか。
ここに、「意志無き予定」という構図が見えるのである。

移転費用が捻出できないのに、
斜陽産業となったジリ貧の公営競馬には出資する。
おまけに中核市となる来年に備え、競馬会館を購入する。
それは、保健所に看板を塗り替えるためだという。
明らかに、「傾斜ぶり」が「馬寄り」なのである。

はなから、市庁舎移転など頭にないのだろう。
周辺との合併や都市開発の整合性を取るために、
「何となく良いかな」レベルの思いつきとしか思えない発想。
いわゆる「盛南開発地区」に市庁舎が移転するかしないかは、
この開発そのものの意義を根底から崩す、という認識も無さそうだ。

これをもって、盛南開発(盛岡南新都市開発)は
「新都市開発」から「郊外開発」に転じたのである。
実際、「西回りバイパス」の往来が顕著になってから、
ロードサイドを埋める店舗は、郊外型以外の何物でも無い。
この事態は、当初から想定されていたものなのか、否か。
メインストリートとされる「杜の道」周辺の建物も、
「景観に配慮した」ものなのか、素人の目には疑問である。
もっと街の顔を意識したつくりかと期待していただけに、残念だ。

加えて危惧することがある。
旧来の市街地再開発に対して、この地域が中心市街地を脅かす「悪」と
目されなければ良いが・・・・。

「杜の○橋」「杜の○」、
連続性はあるが、あまりに普遍的で馴染みにくいネーミング、
「ゆい○ぴあ」「もりとぴ○ねっと」、
一般市民に伝わっていない街の概念、似て非なる愛称の連続、
おぼろげなイメージの中にしっかりと根を下ろす
「盛南」と「西南」の誤用。
そのどれもが、「盛岡とは別の新しいモノ」という意識に結びついて、
「市街地に一番近い郊外」に定義されつつある。
「過去を一掃して全てを新たにすること」の難しさを知る瞬間である。
街自体は、盛岡の未来に希望を与えるものではあるが。

「盛岡市庁舎」という本家本元本流による
一滴のエッセンスが加わるだけで、この街にお墨付きが与えられるはずだった。
ところがそんな準備すらなかったんだという種明かし。
この事実は、将来の市庁舎「南進」をほのめかして合併した
「旧都南村」に対しても、「重要な意思」を表明したことになる。

盛岡市が疲弊した財政状況なのはわかるけど、
さんざん開発は進めておいて、「私は高くて買えません」て、
計画的だとしても、お粗末過ぎやしませんか?
国がやりました、法人がやりました、では済まない問題。

そして市民にとっての「盛南開発」は、これから
「イオン城下町」として位置づけられてゆくのです・・・・。

セブンイレブンには、独特の「匂い」がある。

それが、おでんなのか洗剤なのか、よく分からないが、
あの匂いを嗅ぐと、遠い学生時代を思い出す。

盛岡に、セブンイレブンは無い。
岩手県でダントツに大きな街なのに、無い。
岩手県の特徴として、中央資本の店は大抵、
盛岡を後回しにする傾向がある。

もっとも、後回しにせざるを得ない理由があるのみではない。
流通コストの面から、青森や宮城の県境を経て、
外張りを埋めるかのように、じわりと進攻して来るのは、当然の話である。
逆を言えば、盛岡市はそれほどまでに求心力を持つに到っていない、とも言える。

しかし、それでも不思議なところは多い。
バーミヤン」は、花巻にあるが盛岡には無い。
すぐそこの「岩手県最大の都市」にあってよさそうだが、盛岡はいつまでもガスト一色。
ANNEX」さんによると、
あの「大戸屋」までもが宮古市に第一号店とか。
大戸屋よ、お前もか・・・
ついでに言わせてもらうと、「トマト&オニオン」も、宮古市のみ。
だから何なんだって言われればそれまでだが、
それほどまでに外食産業にとって魅力が無いのか盛岡。
確かに、町のど真ん中のスタバを潰した歴史を持つ、伝説の地方都市ではあるが。
あ、「リトルスプーン」もだったな。

実際、セブンイレブンが無くても、死ぬほど困りはしない。
が、「セブン」が全国的に提供しているサービスや情報を、
いざと言うとき使えない寂しさって、結構ダメージである。

見渡せば、あれだけ隆盛を極めたローソンに対して、
いつしかファミリーマートの席捲が静かに進んでいる。
この移り変わりもまた、歴史のひとコマだ。

待てど暮らせど南下を進めない「ミニストップ」は、
今や次長にとって「岩手県北の風景」となり、
まるで遠くの国に降り立ったかのような異国情緒すら憶える。(笑)

国道4号を南へ進み、
セブンイレブンを見つけた次長、用も無いのに思わず店内へ。
そしてそこで、久しぶりに嗅いだその匂いに、
不意に懐かしさがこみ上げた。

「やまや」が小さな世界旅行だとすれば、
「セブン」は小さな東京出張。
見慣れない商品の陳列に、思わず手が伸びた。

無ければ欲しい、セブンイレブンである。
セブンは今も、目の前の花巻で、小休止。
2007.11.15 商売と土地柄
どこの何とは言わない。
が、「盛岡の人々に受け入れられなかったんだろうな」と思われる店があった。

それは、いわゆる「テナント」である。
置いている商品はとてもいい。
が、どうにもその店の店員の接客が、この土地には合わなかったように思う。

盛岡のお客さんは、大声を張り上げて客寄せされるのを嫌う。
食らいつくように、引き込まれるのをもっと嫌う。
飲食街となった大通を見ればよく分かる。
「呼び込み」みたいな人は居るが、強くは押さない。
ところがこれが、岩手でも南のほうへ行くと様子が違う。
それはもう、土地柄の違いを明確に示すものだ。

「その店」は、うるさいほどに客を呼び込んだ。
おそらくは、あれが嫌われたんじゃないだろうか。
売場はほぼそのままに、同業他社に代わっていた。
そしてその事実を、大家である店は声高にしない。

声を掛ければうるさいと罵られ、
構わずにいれば無視されたと罵られ。
それが、客商売の難しさ。
品がいいだけでは、ネット販売に対抗できない現実というわけで。
2007.11.05 お客様の声
ちょっと気の利いた小売店ならば、
「お客様の声をお寄せ下さい」という、アンケート募集箱がある。

デパートでその内容を公開したと言う話は聞かないが、
スーパーだと意図的に、客の見える場所にその回答とともに張り出されている。

次長、二つの店で、これを目にした。
そして、驚いた。

書いてくれと頼むのは、競争力をつけんがためのアイディアである。
書く側にしても、もっと良くなれば、という期待と満足度追求の現れであろう。

が、しかしだ。
言ってはなんだが、あまりに幼稚な文章が多い。
そして何より、感情に任せて物を言う人間の、如何に多いことか。
嘆かわしい限りである。

「どこそこ売場の○○(実名)は私を無視した」
「ほにゃららの○○(実名)はまともな挨拶が無い」
まるで被害者意識丸出しの、難癖としか思えない「声」。
こんな個人攻撃のために使うものだと、誰が想定しただろう。

こういうアンケートは、
「■■という商品が好きなのですが、置いてもらえませんか?」
「閉店時間はもっと遅いほうが便利です」
とかいった、「提案」のためにあるのだと思っていた。
が、およそ進歩的でない「断罪」に終始した紙切れに、
「どんな顔してこれを書いたんだろうか」という恐怖すら覚えてしまう。

当然、店の側にも問題はあるだろう。
実際にそういう店員が居たとすれば、という場合と、
そうした投稿を敢えて公開してしまう選択基準に、である。

それでも、
「書いたのに公開も返事も無い」といわれるのは避けたい事情もあるのだろう。
それは気の毒としかいいようが無いが、
「言えば事足りる、言えば何とかなる」と思っている客の浅ましさ。
これにはうんざりである。

ぼんやりと、その掲示内容を観ていた次長、
傍から「とんでもない苦情を書き連ねた人」だと思われていなければいいな、という心配すら、脳裏をよぎった。

確かに、とんでもない店員はいる。
が、その怒りをあんな文章でぶつけるのは、どうなんだろう?
それを書くことによって、本人に厳罰が下されるとでも思ってのことか。
どうも、この陰湿さが「歪み」に思える。
愛着とか親近感のない、一方的な要求と欲求不満。

このギスギスとした感情は、
普段、何事も無く暮らしている身の回りの人たちが、
仮面の下で思い考えていることなのだと思ったら、
ますます気味が悪くなった。

人の感情とは、計り知れないものである。