| Home |
2008.02.27
気になるテレビ
今日、「ニュースステーション」を観ていたら、「また」キャスターが謝っていた。
事件に直接関わった船だと伝えた映像が、
実は全く別の船だった、という顛末。
「まぁ、シロウトにはわかんねーだろ」という同情の気持ちと、
「報道のプロなんだから間違えちゃダメでしょ」という呆れとが交錯する。
謝ればいいんでしょ、なんてよもや思ってないだろうが、
矢面に立たされるキャスターがいつも謝り役って、なんだか気の毒。
実際、間違ったのは取材した人なのか、編集した人なのか、
いずれ裏方なんだろうし。
テレビって、最近「間違い」が多すぎませんか?
びっくりするのは、「テロップの漢字の間違い」がやたらに多いこと。
送り仮名が違う、くらいはまだ許せるが、
明らかにこれは違うでしょ、っていう文字が恥ずかしくも無く並ぶことがある。
海に臨む 山を望む
は正解だと思うのだが、「海を望む」はあっても
「海を臨む」「山を臨む」は日本語としてありえない、と思う。
いい始めるとキリがないが、
若手の女子アナウンサーが「なにげに」って言うのも耳障り。
「何気なく」は、もう死語の世界か?
言い回しとも違うが、
日本の司法が無罪と判断した人を、
米国の司法が疑い始めたからと言って「容疑者」呼ばわりする日本のテレビはおかしい。
日本の司法を嘗めてるとしか思えないし、誰の視点で報道しているのか、という感想である。
さらにおかしいのは、
手錠を掛けられている部分にボカシを入れる処理。
そこをぼかすくらいなら、顔をぼかしたほうがいいんじゃない?
プライバシーを保護すると言う意味なら。
世論を焚きつける危険性を伴いながら、
やること為すこと間違いと信頼性という幻想が伴うテレビってやつは、
もっと責任感を持って情報伝達を頂きたいものです。
事件に直接関わった船だと伝えた映像が、
実は全く別の船だった、という顛末。
「まぁ、シロウトにはわかんねーだろ」という同情の気持ちと、
「報道のプロなんだから間違えちゃダメでしょ」という呆れとが交錯する。
謝ればいいんでしょ、なんてよもや思ってないだろうが、
矢面に立たされるキャスターがいつも謝り役って、なんだか気の毒。
実際、間違ったのは取材した人なのか、編集した人なのか、
いずれ裏方なんだろうし。
テレビって、最近「間違い」が多すぎませんか?
びっくりするのは、「テロップの漢字の間違い」がやたらに多いこと。
送り仮名が違う、くらいはまだ許せるが、
明らかにこれは違うでしょ、っていう文字が恥ずかしくも無く並ぶことがある。
海に臨む 山を望む
は正解だと思うのだが、「海を望む」はあっても
「海を臨む」「山を臨む」は日本語としてありえない、と思う。
いい始めるとキリがないが、
若手の女子アナウンサーが「なにげに」って言うのも耳障り。
「何気なく」は、もう死語の世界か?
言い回しとも違うが、
日本の司法が無罪と判断した人を、
米国の司法が疑い始めたからと言って「容疑者」呼ばわりする日本のテレビはおかしい。
日本の司法を嘗めてるとしか思えないし、誰の視点で報道しているのか、という感想である。
さらにおかしいのは、
手錠を掛けられている部分にボカシを入れる処理。
そこをぼかすくらいなら、顔をぼかしたほうがいいんじゃない?
プライバシーを保護すると言う意味なら。
世論を焚きつける危険性を伴いながら、
やること為すこと間違いと信頼性という幻想が伴うテレビってやつは、
もっと責任感を持って情報伝達を頂きたいものです。
2008.02.24
ロス:タイム:ライフ
「ロスライムライフ」が、面白い。
フジテレビ系で放送されているこのドラマ、
ショートフィルムの香りを放ちながら、限りなくシュールで切ない物語。
何しろ、テーマは一貫して「残された命」
そんな重いテーマを、サッカー競技になぞらえて展開する。
不慮の事故(または自らの選択)で死を迎えた主人公が、
残された僅かな時間との戦いを、試合よろしく生きる。
常に後ろには、臨終の時までのタイムリミットを電光表示で伝える人間がおり、
また審判やラインマンがいて、走り抜ける主人公を追いかける。
画面の片隅に表示される無機質さはそこに無くて、
彼らも主人公も既に「生身の人」ではないはずなのに、一番人間らしい。
こう書くと、いかにも命の重さを軽んじてるように思われるだろうが、そうではない。
言わば「一度死に直面した人間」こそが、
いかに「生きることに最も正面から向き合える」のかを、知らしめている。
死は日常、多くの人から遠い場所にあって、それでも誰もが迎える一瞬だ。
ところが、身近にある「生きること」についてすら、考える瞬間は少ない。
生きるって何だろう? どうして生きてるんだろう?
そんな、「中学生の悩み」みたいなものを忘れたとき、人は俗世に染まっていく。
何よりも根源的で崇高で、容易に到達することの出来ない永遠のテーマだけれど。
そんな平々凡々な毎日に、ぽとりと滴るようなドラマ「ロストインタイム」。
「本当に死を迎える瞬間」まで、懸命に走り回る主人公が放つ
「私、まだ死にたくない」
屋上から飛び降りた人が、死の手前で放った台詞がこれだ。
振り返れば、やっていないことだらけ。
まだまだやり直すべきことが多い人生。
あれもこれも、走り抜けるだけではまだ足りない。
観ている側も、主人公はもう死んでいると分かっているから、
やり直しのきかない主人公に感情移入する。
最後の最後まで走り抜けて、
言い残したこと、やり残したこと全てを「生きている人」に託して消えてゆく。
「死んだ人」の意思が、生きている人には到底分からないのだという暗喩を秘めながら。
ユニフォームを着た審判らは何も言わず、
残り5秒のところで、主人公に対して「死」を促す。
まだ生きたいと言ったところで、審判にその采配はふるえない。
彼らは神でも仏でもなく、単にリミットを告げる役回りでしかないのだ。
もう死んでいるのだから、「促す」も何もないのだが、
運命なのか宿命なのか、主人公はそれを受け入れるしかない。
最終的には、逃げられない何か、という
「リミット」の中で生きる「人生」そのものを表すかのようで。
ここでホイッスルが鳴り、主人公はやっぱり死んでしまうのだが・・・。
昨晩の放送では、まさかの「延長戦です!!」の場内アナウンス。(笑)
病院の屋上から飛び降りた若き女性看護師は、
同じく死を選ぼうとした人を助けて、人生の延長戦へとコマを進めた。
生きることを考えさせられる、本当に面白いドラマに出会えた。
フジテレビ系で放送されているこのドラマ、
ショートフィルムの香りを放ちながら、限りなくシュールで切ない物語。
何しろ、テーマは一貫して「残された命」
そんな重いテーマを、サッカー競技になぞらえて展開する。
不慮の事故(または自らの選択)で死を迎えた主人公が、
残された僅かな時間との戦いを、試合よろしく生きる。
常に後ろには、臨終の時までのタイムリミットを電光表示で伝える人間がおり、
また審判やラインマンがいて、走り抜ける主人公を追いかける。
画面の片隅に表示される無機質さはそこに無くて、
彼らも主人公も既に「生身の人」ではないはずなのに、一番人間らしい。
こう書くと、いかにも命の重さを軽んじてるように思われるだろうが、そうではない。
言わば「一度死に直面した人間」こそが、
いかに「生きることに最も正面から向き合える」のかを、知らしめている。
死は日常、多くの人から遠い場所にあって、それでも誰もが迎える一瞬だ。
ところが、身近にある「生きること」についてすら、考える瞬間は少ない。
生きるって何だろう? どうして生きてるんだろう?
そんな、「中学生の悩み」みたいなものを忘れたとき、人は俗世に染まっていく。
何よりも根源的で崇高で、容易に到達することの出来ない永遠のテーマだけれど。
そんな平々凡々な毎日に、ぽとりと滴るようなドラマ「ロストインタイム」。
「本当に死を迎える瞬間」まで、懸命に走り回る主人公が放つ
「私、まだ死にたくない」
屋上から飛び降りた人が、死の手前で放った台詞がこれだ。
振り返れば、やっていないことだらけ。
まだまだやり直すべきことが多い人生。
あれもこれも、走り抜けるだけではまだ足りない。
観ている側も、主人公はもう死んでいると分かっているから、
やり直しのきかない主人公に感情移入する。
最後の最後まで走り抜けて、
言い残したこと、やり残したこと全てを「生きている人」に託して消えてゆく。
「死んだ人」の意思が、生きている人には到底分からないのだという暗喩を秘めながら。
ユニフォームを着た審判らは何も言わず、
残り5秒のところで、主人公に対して「死」を促す。
まだ生きたいと言ったところで、審判にその采配はふるえない。
彼らは神でも仏でもなく、単にリミットを告げる役回りでしかないのだ。
もう死んでいるのだから、「促す」も何もないのだが、
運命なのか宿命なのか、主人公はそれを受け入れるしかない。
最終的には、逃げられない何か、という
「リミット」の中で生きる「人生」そのものを表すかのようで。
ここでホイッスルが鳴り、主人公はやっぱり死んでしまうのだが・・・。
昨晩の放送では、まさかの「延長戦です!!」の場内アナウンス。(笑)
病院の屋上から飛び降りた若き女性看護師は、
同じく死を選ぼうとした人を助けて、人生の延長戦へとコマを進めた。
生きることを考えさせられる、本当に面白いドラマに出会えた。
2008.02.12
オシャレは伝染する
ナゼだか知らないが、ケーキが売れているみたい。
その根拠、「そんなふうに見えた」という次長の主観によるものだが、
町のケーキ屋さんやスーパーなど、あちこちでケーキが消えてゆく。
休みの日はケーキを食べる習慣が、盛岡にはあるのか、
それとも建国記念日をケーキで祝う風習が古来よりあるのか(そんなわきゃない)
どこもやたらに、ケーキが売れていた3連休。
ウチもナゼだか、妻がケーキをたくさん買っている。
さて、以前から次長の謎であった
「サンデーとホーマックが向かい合う場所」について、今日は述べてみたい。
ご存じない方のために説明しよう。
サンデーは青森県八戸市に発するDIYショップ。
北東北に勢力を張ったがのちにイオンの軍門に下り、
「イオンあるところにサンデー」あり、とまで呼ばれるようになった(わけではないが)
非常に密接な関係を持つ企業である。
一方、ホーマックも同様にDIYショップである。
そのルーツは複数の地場企業の結合体だが、その一つが盛岡市に本拠を持った
「メイク」と呼ばれる東北DIY界のさきがけである。
こちらも流通業界の時代を読み、イオングループの一翼を担う企業となった。
これら普通にぶつかり合うような同業他社が、正面からぶつかるガチンコ道場が、
盛岡市本宮の、土地区画整理事業地内である。
サンデーはイオン盛岡南ショッピングセンターと同じ建物に。
ホーマックはそれに先んじて、広大な土地にドカンと腰をすえた。
どう考えても、同じグループ同士を競わせるイオンな配置だったが。
「サンデーが変わってる」
そう思ったのは、最近の話である。
どことなく、青森の空気を感じさせるローカルなDIYだったが、
商品の品揃えがどうも「東急ハンズっぽくなってる」のである。
たとえば、アメリカのかほり「ダウニー」
日本じゃなぜか実現されない、メリケン風味な香りが人気の、柔軟材である。
近頃、オシャレなマダム(自称セレブな奥様)の間では流行らしく、
わざわざ通販で買う人も少なくないらしい。
そんなものが、我らがサンデーに堂々と置かれていたりする。
さすがに、全種類ってわけにはいかないけど。
また、石鹸、シャンプー、カミソリなど、
いわゆるトイレタリーに関する品揃えに気が利いている。
店員さんに関してはハンズ臭は無いものの、
ずいぶん変わったなー、というのが印象である。
これには、お客さんの層の変化もあるのだろうか。
サンデーと専門店街を結ぶ直前のテナント
「ニュースタイル」と「グランビュッフェ」は雰囲気が非常に都会的で、
これに誘導されてくる人たちは、年齢に関わらずみなオシャレ。
独特の個性を持っている人が多い。
ここでもう一つ思ったのが、
「オシャレなお父さんが増えていること」だ。
昔だと、某有名スポーツ用品店の台頭で「お父さんの週末着」ときたら、
微妙な色のジャージがやたら多かったと記憶している。
他人様の話だが、時を経て「ユニクロ」が出来たあたりから、盛岡に変化が訪れたと言う。
さすがに中学・高校の息子が着る「アメリカ屋」スタイルについていけなかったお父さんも、
安心して洋服のお買い物ができるようになったと言うのである。
さらにここへ来て、「GAP」なんかが出来てしまうと、
無難で奇抜さの無い真っ当なオシャレが完成する。
「モンベル」の功績も大きい。
実用性を見失わない中でのオシャレ。
寒いのを我慢してオシャレするほど、お父さんは若くない。
人によっては、「タケオキクチ」とか「UNDERCURRENT」も選択肢の一つ。
なべて、盛岡のお父さんは郊外から磨かれてきた。(笑)
これが盛岡の現実である。
もしも今、中心市街地を活性化して人を回遊させようとするなら、
魅力ある商品、無料の駐車場、祝祭性のあるイベントが必要。
しかし、これは既に郊外で実現している。
中心市街でしかできないこと、
それは風景に価値を見出し、固有のライフスタイルを提案することである。
中津川沿いに長屋風の小さな店が並び、
川沿いが石畳の歩道だったら、どれだけ素敵だろう。
そこにカフェがありバーがあり、新たなメインストリートになり得る雰囲気を持っている。
3階以上は全てマンションでいい、風景を壊さない色彩であれば。
その風景に溶け込む瞬間が、美しいと感じられることが大切だ。
郊外店は中心街の魅力を奪っているわけではなく、
不足している物品を流通しているに過ぎない。
何が不足と感じるかは、その町に住む人の感性に委ねられているのではないのか。
その根拠、「そんなふうに見えた」という次長の主観によるものだが、
町のケーキ屋さんやスーパーなど、あちこちでケーキが消えてゆく。
休みの日はケーキを食べる習慣が、盛岡にはあるのか、
それとも建国記念日をケーキで祝う風習が古来よりあるのか(そんなわきゃない)
どこもやたらに、ケーキが売れていた3連休。
ウチもナゼだか、妻がケーキをたくさん買っている。
さて、以前から次長の謎であった
「サンデーとホーマックが向かい合う場所」について、今日は述べてみたい。
ご存じない方のために説明しよう。
サンデーは青森県八戸市に発するDIYショップ。
北東北に勢力を張ったがのちにイオンの軍門に下り、
「イオンあるところにサンデー」あり、とまで呼ばれるようになった(わけではないが)
非常に密接な関係を持つ企業である。
一方、ホーマックも同様にDIYショップである。
そのルーツは複数の地場企業の結合体だが、その一つが盛岡市に本拠を持った
「メイク」と呼ばれる東北DIY界のさきがけである。
こちらも流通業界の時代を読み、イオングループの一翼を担う企業となった。
これら普通にぶつかり合うような同業他社が、正面からぶつかるガチンコ道場が、
盛岡市本宮の、土地区画整理事業地内である。
サンデーはイオン盛岡南ショッピングセンターと同じ建物に。
ホーマックはそれに先んじて、広大な土地にドカンと腰をすえた。
どう考えても、同じグループ同士を競わせるイオンな配置だったが。
「サンデーが変わってる」
そう思ったのは、最近の話である。
どことなく、青森の空気を感じさせるローカルなDIYだったが、
商品の品揃えがどうも「東急ハンズっぽくなってる」のである。
たとえば、アメリカのかほり「ダウニー」
日本じゃなぜか実現されない、メリケン風味な香りが人気の、柔軟材である。
近頃、オシャレなマダム(自称セレブな奥様)の間では流行らしく、
わざわざ通販で買う人も少なくないらしい。
そんなものが、我らがサンデーに堂々と置かれていたりする。
さすがに、全種類ってわけにはいかないけど。
また、石鹸、シャンプー、カミソリなど、
いわゆるトイレタリーに関する品揃えに気が利いている。
店員さんに関してはハンズ臭は無いものの、
ずいぶん変わったなー、というのが印象である。
これには、お客さんの層の変化もあるのだろうか。
サンデーと専門店街を結ぶ直前のテナント
「ニュースタイル」と「グランビュッフェ」は雰囲気が非常に都会的で、
これに誘導されてくる人たちは、年齢に関わらずみなオシャレ。
独特の個性を持っている人が多い。
ここでもう一つ思ったのが、
「オシャレなお父さんが増えていること」だ。
昔だと、某有名スポーツ用品店の台頭で「お父さんの週末着」ときたら、
微妙な色のジャージがやたら多かったと記憶している。
他人様の話だが、時を経て「ユニクロ」が出来たあたりから、盛岡に変化が訪れたと言う。
さすがに中学・高校の息子が着る「アメリカ屋」スタイルについていけなかったお父さんも、
安心して洋服のお買い物ができるようになったと言うのである。
さらにここへ来て、「GAP」なんかが出来てしまうと、
無難で奇抜さの無い真っ当なオシャレが完成する。
「モンベル」の功績も大きい。
実用性を見失わない中でのオシャレ。
寒いのを我慢してオシャレするほど、お父さんは若くない。
人によっては、「タケオキクチ」とか「UNDERCURRENT」も選択肢の一つ。
なべて、盛岡のお父さんは郊外から磨かれてきた。(笑)
これが盛岡の現実である。
もしも今、中心市街地を活性化して人を回遊させようとするなら、
魅力ある商品、無料の駐車場、祝祭性のあるイベントが必要。
しかし、これは既に郊外で実現している。
中心市街でしかできないこと、
それは風景に価値を見出し、固有のライフスタイルを提案することである。
中津川沿いに長屋風の小さな店が並び、
川沿いが石畳の歩道だったら、どれだけ素敵だろう。
そこにカフェがありバーがあり、新たなメインストリートになり得る雰囲気を持っている。
3階以上は全てマンションでいい、風景を壊さない色彩であれば。
その風景に溶け込む瞬間が、美しいと感じられることが大切だ。
郊外店は中心街の魅力を奪っているわけではなく、
不足している物品を流通しているに過ぎない。
何が不足と感じるかは、その町に住む人の感性に委ねられているのではないのか。
2008.02.09
戦争遺跡を歩く
表題には、同名の刊行本があるらしい。
今日はそんな話題である。
地方都市では、中心市街地の衰退が叫ばれて久しい。
それは、多くが「郊外型店舗の進出」、
殊に大手流通グループの台頭によると考えられているようだ。
岩手県が実施した07年度盛岡地区広域消費購買動向調査によると、
盛岡では、「青山・みたけ」が第一位。
場所はいわゆる「郊外」ではあるが、
世間で言われるような郊外型の典型(「イオン」を核にした地域)ではない。
もっとも、この地域にある「トイザらス」や「やまや」が、
イオングループの資本力をベースにしているのは、言わずもがなだが。
この地域を減速させているのが「盛南地域」
これこそは「サティ」を核とするイオン盛岡ショッピングセンターの城下町。
総合品目の比較で、商業地域として上位に食い込むそれぞれは、
まさにイオン無しには語ることの出来ないものである。
「前潟地域」は、イオンモール盛岡の城下町。
「都南地域」は、盛岡南サティの旧跡を望む、兵どもの夢の跡。
さらに晴れて盛岡市が唯一取り込んだ隣接の「玉山地区」に
新たなる「城」が建設されるに及び、盛岡もイオン完全包囲網に陥ったかにも見える。
既にこの戦場は、イオン間の戦国時代に突入したとも言えようか。
盛岡と、青森あたりとの状況が違うのは、このあたりである。
盛岡は、市街地に至近の場所に複数のイオンがある。
青森は、市街地すら形成前の一点にイオンがある。
後者は郊外そのものに中心市街が生まれたのであり、文字通り企業城下町である。
企業城下町としての風土や歴史の無い盛岡は、企業との融合を考えるでもなく、
ここへ来て頑ななまでに「盛岡城を核とした城下町」に固執を始めた。
「平成の一国一城令」の発令である。
それ自体、悪いことではない。
が、盛岡城もいつしか多くの合意も無く「盛岡城跡公園」と名を転じたように、
「その他城下町」の対策は全く見えない。
「マチナカ」しか見ていないし、考えていないからだ。
一般民衆は、既にイオン城への絶大なる支持を表明しているのに。
「イオン城跡公園」建設の必然さえもが、
生まれる未来を想定しているのかという話である。
さて、話題は郊外の筆頭格・青山地域である。
次長も消費経済の申し子、クルマで青山まで出かけることがある。
そこで先日、どことなく雰囲気が変わっていることに気づいた。
青山の森永乳業工場にあった、木造の建物が姿を消し、
「いかにも工場」な威容を誇る巨大な工場が現れたのである。
ここにあったのは、旧陸軍の二階建て兵舎跡だった。
よく考えれば、陸軍の兵舎が現在まで遺されていたと言うのは大変なことである。
むしろこれが、森永乳業という一流メーカーの敷地だったからこそ
大切に遺されて来たという側面は否めないだろう。
これが市有地だったら、遺されていたのかどうか。
保存運動が盛り上がったとか、そういう話を耳目にしない。
ただ、盛岡市が「保存できない」とコメントしたのは後から知った。
森永が何の支援もなくひたすら良心と善意で守ってきたものを
森永の利益のために壊して何が悪い、という意見もあるだろう。
何よりも、この守り伝えてきた森永乳業に対して、市や市民はもっと感謝の念を抱くべきだ。
それにしても、多くの人々が関心を寄せることも無くあっさりと消え去ったことに驚くばかり。
これが、今の盛岡の文化に寄せる意識水準なのだろう。
奇しくも、青山は「盛岡でトップ」とされる目される地域である。
郊外型店舗が害悪と目される風潮に乗って、
郊外そのものも軽視している印象が否めない。
盛岡市の公式ウェブサイトは盛岡について「盛岡は城下町」と高らかに謳うが、
城下町以外の歴史には無関心なんだろう。
殊に、「戦争遺跡」の重要性には、気づいていないのだろう。
むしろ、盛岡が目指す観光都市像とブレる、ぐらいに思ってるのだろうか。
この兵舎跡は、ただひたすらに青山の玄関口にあって、
物言わぬ戦争遺跡として君臨してきた。
そこに観光客は来ない。
しかし、観光客の来ない遺跡に興味の無い自治体の底が知れる。
盛岡はまた、新たな郊外店を否定しながら、郊外の歴史をも黙殺した。
今日はそんな話題である。
地方都市では、中心市街地の衰退が叫ばれて久しい。
それは、多くが「郊外型店舗の進出」、
殊に大手流通グループの台頭によると考えられているようだ。
岩手県が実施した07年度盛岡地区広域消費購買動向調査によると、
盛岡では、「青山・みたけ」が第一位。
場所はいわゆる「郊外」ではあるが、
世間で言われるような郊外型の典型(「イオン」を核にした地域)ではない。
もっとも、この地域にある「トイザらス」や「やまや」が、
イオングループの資本力をベースにしているのは、言わずもがなだが。
この地域を減速させているのが「盛南地域」
これこそは「サティ」を核とするイオン盛岡ショッピングセンターの城下町。
総合品目の比較で、商業地域として上位に食い込むそれぞれは、
まさにイオン無しには語ることの出来ないものである。
「前潟地域」は、イオンモール盛岡の城下町。
「都南地域」は、盛岡南サティの旧跡を望む、兵どもの夢の跡。
さらに晴れて盛岡市が唯一取り込んだ隣接の「玉山地区」に
新たなる「城」が建設されるに及び、盛岡もイオン完全包囲網に陥ったかにも見える。
既にこの戦場は、イオン間の戦国時代に突入したとも言えようか。
盛岡と、青森あたりとの状況が違うのは、このあたりである。
盛岡は、市街地に至近の場所に複数のイオンがある。
青森は、市街地すら形成前の一点にイオンがある。
後者は郊外そのものに中心市街が生まれたのであり、文字通り企業城下町である。
企業城下町としての風土や歴史の無い盛岡は、企業との融合を考えるでもなく、
ここへ来て頑ななまでに「盛岡城を核とした城下町」に固執を始めた。
「平成の一国一城令」の発令である。
それ自体、悪いことではない。
が、盛岡城もいつしか多くの合意も無く「盛岡城跡公園」と名を転じたように、
「その他城下町」の対策は全く見えない。
「マチナカ」しか見ていないし、考えていないからだ。
一般民衆は、既にイオン城への絶大なる支持を表明しているのに。
「イオン城跡公園」建設の必然さえもが、
生まれる未来を想定しているのかという話である。
さて、話題は郊外の筆頭格・青山地域である。
次長も消費経済の申し子、クルマで青山まで出かけることがある。
そこで先日、どことなく雰囲気が変わっていることに気づいた。
青山の森永乳業工場にあった、木造の建物が姿を消し、
「いかにも工場」な威容を誇る巨大な工場が現れたのである。
ここにあったのは、旧陸軍の二階建て兵舎跡だった。
よく考えれば、陸軍の兵舎が現在まで遺されていたと言うのは大変なことである。
むしろこれが、森永乳業という一流メーカーの敷地だったからこそ
大切に遺されて来たという側面は否めないだろう。
これが市有地だったら、遺されていたのかどうか。
保存運動が盛り上がったとか、そういう話を耳目にしない。
ただ、盛岡市が「保存できない」とコメントしたのは後から知った。
森永が何の支援もなくひたすら良心と善意で守ってきたものを
森永の利益のために壊して何が悪い、という意見もあるだろう。
何よりも、この守り伝えてきた森永乳業に対して、市や市民はもっと感謝の念を抱くべきだ。
それにしても、多くの人々が関心を寄せることも無くあっさりと消え去ったことに驚くばかり。
これが、今の盛岡の文化に寄せる意識水準なのだろう。
奇しくも、青山は「盛岡でトップ」とされる目される地域である。
郊外型店舗が害悪と目される風潮に乗って、
郊外そのものも軽視している印象が否めない。
盛岡市の公式ウェブサイトは盛岡について「盛岡は城下町」と高らかに謳うが、
城下町以外の歴史には無関心なんだろう。
殊に、「戦争遺跡」の重要性には、気づいていないのだろう。
むしろ、盛岡が目指す観光都市像とブレる、ぐらいに思ってるのだろうか。
この兵舎跡は、ただひたすらに青山の玄関口にあって、
物言わぬ戦争遺跡として君臨してきた。
そこに観光客は来ない。
しかし、観光客の来ない遺跡に興味の無い自治体の底が知れる。
盛岡はまた、新たな郊外店を否定しながら、郊外の歴史をも黙殺した。
| Home |


