上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013.04.28 モノがたり
岩手県立博物館で開かれている
「いわての昭和モノがたり ―戦後復興の軌跡、震災復興への希望―」を訪ねた。

日本が戦後飛躍的な発展を遂げる中、
遅ればせながら駆け足で東京を追いかけた岩手県。
産業、鉄道、電気、食文化。
あらゆる方法と方向で、右肩上がりの成長を目の当たりにした時、
そこで何かを失うことに、ためらいはあったのかどうか。

思えばこの10年という時代も、本当に激動だった。
もはや昨日今日の生活雑貨も、ガラスケースに収まりそうである。
何か書き忘れたことはないか、伝え忘れていないか、
そんな心境にすら陥る。

何度か訪れているが、ここのテーマ展にはいつも「心」を感じる。
博物館たるもの、過去にあった事実を羅列して説くのが期待されているのだろうが、
素人にはときに「つまらなさ」だけを残すものである。

ところがこの館のキャプションには「愛」があり「物語」ある。
よもや未来に、こうして我々「未来人」がガラスケースに収めて鑑賞するとは
夢にも思わなかったであろう人々の思いまで、
言わば現代の感覚で言えば「埋蔵文化財を代弁して」説く。
これは実に面白い。

「戦災からの復興」を、「震災からの復興」と重ねるのも、この「今」ならでは。
事実、空襲を受けた釜石や盛岡駅前に、その痕跡は薄い。
よもやそうした事実があったことさえ知らない人間ばかり。
何しろ、日本がアメリカと戦争したことを知らない学生も多いという。
嘘のような本当の話である。

戦後否応なく仮設に商売の礎を置き、そのまま時代が過ぎた桜山商店街。
その姿は今、震災から立ち上がろうとする沿岸の仮設商店街にも重なると説く。
人の思いとは別に歴史は繰り返し、心は思い出とともにそこに残る。
過去を知らない人間は日々増え、知る人間はひたすら減る。
未来の人々には理解されないことが、現在進行形で起きているのかも知れない。

このテーマ展で重要だと感じたのは、
時代と人は絶えず変わっていくものだ、ということ。

例えば盛岡の名物として知られるようになった
「わんこそば」「盛岡冷麺」「じゃじゃ麺」も、その成立は紆余曲折。
何しろそば以外は、近くて遠い国の異文化である。

どこかのタイミングでそれを肯定する人も否定する人もいて、
歴史の中で人が能動的にも受動的にもその存在を評価してきたということ。
かの国の人々も「同胞」に罵られ、この国の人々も時に顔をしかめ、
アイデンティティは対立することから食を通じて融合、
いつしか定着した。
今、遠国の食文化はカタチを変えて、盛岡の名を冠して供される。

翻って昔ながらの「そば」の文化も、
その底流を我々はあまりにも知らない。

その過程で、本当はもっと残すべきものがあったのかも知れないけれど、
結果そこでは淘汰という選択が為されたということ。

復興が実現した時、
そこに何が残されているのか、どのように伝えられるべきなのか、
様々な視点・立場で物語る必要を感じた。

「伝える」ということは、このテーマが示す通り、
文字通り「モノがたり」なのである。
まさに、秀逸。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。