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2016.02.26 切株の遺言

北海道・美瑛町で、「哲学の木」が伐採された。
無くなって初めて、この木の存在を知ったのだが。

当地の感覚で言えば、
「小岩井農場の一本桜」がバッサリ伐られた衝撃か。
マナーの悪さが伐採の原因と報じられるが、
倒れそうで危険というのも、偽りなく大きな理由だろう。

木を伐ることに対する人の感情は、本当に千差万別。

積み重ねた年輪が、絶たれる。
太かろうと、細かろうと。

生きた証を消されることはもとより、
その風景の歴史、植えた人の心を思う。
そういう感覚の有無には、かなりの個人差がある。

行政が、いとも容易く木を伐る町。
盛岡には、そういう印象がある。

「開運橋」脇の緑地帯が、スカスカになっていた。
「岩手公園」のヒマラヤスギ並木が伐られたのを思い出す。
ご多分に漏れず、ここも伐採されたらしい。

「防犯上の理由」と言えばもっともらしいが、
切株が並ぶのは衝撃的な光景だ。
そこまで想定しなかったのか、計画性がなかったのか。
風景として、これはどうなのか。

いわて国体の来場者に向け
橋に電飾が施され、歓迎の言葉が並ぶ。
「おもてなし」って、そういうことなのかな、と思う。
そういう姿は、いったい誰に求められているのか。

街並みをつくる木を伐るのと、
山林を伐採するのとは、違うような気がする。

それもまた、「感覚の違い」でしかないのか。
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