景観についての論議が、高まっている。

世界遺産登録を目指す、岩手県平泉町では、
県も町も「イコモス様」対策におおわらわ。
彼らが帰ってもなお。

何しろ、観て感じて分かる「遺産」部分が圧倒的に少ないのである。
「ほにゃらら跡」とかいった建造物群や、
「浄土思想」という目に見えぬ宗教観の伝達。
これは、失われたのが惜しいほどの規模であり崇高な願いでこそあれ、
「現代化」という僅かな時間での移り変わりによって、
大変な変貌を遂げているのである。

突然、平泉町周辺の環境(平たく言えば道路)整備が進んだかと思ったら、
今度は「良からぬ看板」「好ましくない自販機」への
静かなる物言いが、始まったようである。

「自主的」というカタチで、社会への影響力を重視する企業は動く。
看板の撤去や、自販機の「好ましい色」への塗り替えである。

が、とは言え民間企業。そうした良識はもっと高く評されるべきで、
「やって当たり前」では無いことを官民ともに認識すべきである。
いくら地域のためとは言え、自腹を切って地域へ貢献するのは大変なこと。
お上が言うから、というのは本義的な理由では無いのだから。

つまるところ「平泉」は、
今後「岩手県を象徴するイメージ」になるんだろう。

岩手県に同名の「岩手市」は無し、
岩手県と盛岡市のイメージは繋がらず。
岩手県も盛岡市もおぼろげな位置関係で、
りんごの青森や美人の秋田ほど、特筆するほどのイメージが見えない。

岩手県のど真ん中、岩手県庁を抱える盛岡市に居ても、
正直なところ、岩手県を意識することはあまりない。
「盛岡」という狭く集約的な社会で生きているから、
岩手と言う「壮大な地域」へ思いを致すに至らないのである。
が、これが岩手にも盛岡にも、良くない。

知名度が低くて共倒れ状態。
近頃「どんど晴れ」で盛岡の架空のイメージは醸成できたが、
これが岩手という広大な土地となると、
盛岡一点では語りつくせないものとなる。
ところが、盛岡市民は実体以上に盛岡の知名度が全国的に高いはずだと信じている。

「どんど晴れ」が言及したのは「岩手・盛岡」とは言ってもやはり「盛岡周辺」で、
いわゆる「県北」「県南」「三陸沿岸」には一切及んでいないのである。
「岩手・盛岡」と表記すること自体、難しい場合が多いのではないか。

県北地方はまるで関係なさそうだが、
岩手県内に「平泉」に関連性を持つ地域は多いし、
何しろお墨付きを与える相手が「世界」である。
世界が認めれば、日本国内でも認められるだろう、という算段。
盛岡よりも、ワールドワイドな訴求性があるというわけだ。

「岩手県」という広大無比な行政単位が存在していることに、そもそもの無理を感じるのだが、
ここに来て「道州制」を語る政治家が首をもたげてきたから、これには興味が尽きない。

盛岡近郊ならともかく、「岩手」と言う言葉に
県の北や南の端っこの地域は、シンパシーを感じているのだろうか。
または、海沿いの広いエリアに展開する市町村にしろ、
「岩手県」という言葉でまとまれるほど、一体感を憶えているのだろうか?
「盛岡市」に対しても、さほど親近感は湧いていないだろう。
北の端の岩手県久慈市の人々は、青森県八戸市へ買い物に行く。
南の端の岩手県一関市の人々は、宮城県仙台市のテレビを観ている。
もはや、というよりもとより、岩手県は幻想で成り立っている県なのだ。

「岩手県」は、必要ないと思う。
広域合併が進むこの時代、猫も杓子も「市」になってしまって、
もはや「郡」が必要ないという意見があるが、
むしろ「県」こそ必要ないような気がする。

住所表記に「郡」は意味を成さなくなっているが、
それでもクルマも無い頃の行政区、やはりこの境界は
「気候の境目」を感じさせる実感がある。

かたや県は、せいぜい江戸時代が終わって、
なんとなく思いつきでつくったようにしか思えない。
事実、今でも東北地方では、
藩政時代の境界が文化的に活きていて、それを否定する動きも少ないのではないか? 

広いという意味でも、北海道とは全く背景が違う。
岩手という大きすぎる県が、
統一イメージを全国に発信するというのは、困難であり悲願でもあった。
が、それを平泉という歴史と文化と思想性に満ちた古都の「精神」が代弁しようというのである。

だとしたら、あぶれていくのは「県北・沿岸地域」
つまり、今岩手県が産業・所得などの面で「一番重点的に救済しようとしている地域」なのだ。
これは本当に、ジレンマだと思う。
岩手という県が背負わされた運命でもあるが、
そもそも、このエリアが一つにさせられている矛盾を、今尚感じざるを得ない。

改めて、「岩手県」という地域そのものが、幻想を背負わされた劇中の存在に思えてならないのだ。
例えばこの岩手県が、「県北・沿岸地域」を別の県として客観視できる状態だったなら、
後者は今、ここまで苦境に立たされていなかった気がする。
「県北・沿岸地域」に独自の県庁所在都市があったら、ここまで衰退することは無かっただろう。
例えば、八戸市がその首府としてあれば。

歴史に「もし」は禁物だが、
この岩手県が今まで「一関(平泉)県」「盛岡県」「八戸県」に分かれて存続していたら、
それぞれに「均衡ある発展」が実現されていたのではないだろうか。
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