| Home |
2007.10.15
岩手と盛岡の序列
今年から「みちのくミステリー映画祭」が、無くなった。
というより、諸般の事情により、この名を掲げることが出来なくなったようである。
今年から名称が、「いわて盛岡映画祭」になったという。
その名の通り、ミステリーにこだわらない内容のようである。
「みちのく(東北地方)」と言うスケールから「いわて(岩手県)」への縮小、と取ればいいのだろうか?
まぁ、そのあたりは言葉のアヤである。
気になるのは、なぜ単に「盛岡映画祭」ではないのか、ということだ。
フィーリングの問題だろうか、こちらの方が語呂も落ち着きもいい。
盛岡というピンポイントのお祭りなんだから、何も岩手という広大な大地を標榜しなくて良いような気がする。
「いわて」と「盛岡」が並ぶと、どうも焦点がぼやける。
「岩手盛岡」だと、いかにも不自然だから「いわて盛岡」なんだと思うが、もはや「いわて」が必要なのかって話である。
それは、何についてもであるが。(「いわて花巻空港」とかさ)
勝手な推論だが、「岩手のみんなで盛り上げていこう」ってな心意気なのかも知れぬ。
「どうせ盛岡だけのお祭りでしょ」という批判を避ける意味もあるのかもしれない。
が、ごく私的な感情ながら、「岩手」「盛岡」が並んでいることに凄く違和感を感じている。
どれぐらいの話かというと、「岩手県盛岡市」っていう住所表記の字面に対してすら、既に違和感を感じている次長なのである。
それぐらい根本的な話だから、映画祭の例を出したのに他意はないことを付け加えておく。
この違和感は、
よそ者が福岡市を漠然と「博多」と呼ぶのに対する違和感に近い。
確かに最大のターミナルは「博多駅」だが、
福岡市民は誰もが自らを「博多っ子」と呼んだりしないし、
それは「福岡市博多区」というエリアに限った話である。
次長が福岡に居た頃、その感覚はまさに「よそ者」そのものであった。
NHK連続テレビ小説が放送されている間、
「どんどはれの舞台 岩手・盛岡」と言うのぼりが多くあった。
かたや、JR他が駅構内で進めているキャンペーンののぼりには
「美し国 伊達な旅 仙台・宮城」とある。
前者と後者とでは、ご覧の通り県名と市名とが逆表記。
政令指定都市だからと言えばそれまでだが、
それでも県名に先んじて市名が先行する仙台、これは明らかに意図的なものである。
これより後の話ではあるが、
例の社会保険庁問題で、宮城県大崎市が度々取りざたされた。
が、かなりの割合で、テレビキャスターがこれを「宮【崎】県大崎市」と取り上げるのを見聞した。
それぐらい、宮城県というのはマイナーな県なんだと思った。
かたや、県知事が広報推進に躍起な宮崎県、
鹿児島県川内(せんだい)市はその響きを返上し、薩摩川内市に改称。
宮城県の知名度は没落の一途、仙台市とは反比例の動きである。
余談ではあるが、
東北自動車道の「仙台宮城インターチェンジ」は、旧宮城町(現在の仙台市青葉区)にあり、
仙台市は宮城野区を置くことで、「宮城」の名を内包した。
歴史で言えば「宮城」が古いのだろうが、全国的知名度と主導権で「仙台」を選択したのである。
これは、「三陸海岸」の知名度が断然高いのに「陸中」のままでいる陸中海岸や、
盛岡城の認知度を上げんがために「岩手公園」の名を手放そうとする動きとは正反対である。
通例、政令指定都市は県名を冠しなくなる事が多い。
北海道札幌市、よりは札幌市白石区、
兵庫県神戸市、よりは神戸市灘区、
愛知県名古屋市、よりは名古屋市熱田区。
県名を掲げるとおぼろげなイメージが、冠が取れるとすっきりスマートになる。
横浜市は「横浜市神奈川区」が一宿場であった神奈川宿の名を内包している。
横浜がかつて、宿場から遠く離れた漁村(開国はするものの、宿場町に外国人が往来するのは堪らないという幕府の判断らしい)であったことを思えば、逆転現象である。
政令指定都市以外でも、掲げる文字でイメージが変わる。
「石川・金沢」だと「寒くて日本海の荒波ザッバーン」だが、
単に「金沢」だと、「豪華絢爛金箔仕上げ」に早変わり。
「盛岡」で何をイメージするかっていると結構悩ましいが、
「岩手」が先行すると余計ややこしくなる。
果たして、「岩手県盛岡市」で何をイメージできるか、という問題だ。
「盛岡・岩手」に変えたからどうだ、とは言わないが、
盛岡の知名度で岩手エリアを引っ張っていく、ぐらいの心積もりは欲しいものである。
そもそも、岩手というのは「岩手郡」のことであって、岩手県全体を指し示す言葉ではない。
岩手県全体を指し示す言葉、それは後にも先にも、「イーハトーブ」だけだというのが事実。
そんな事実にぶちあたると、結構驚愕である。
かといって、「理想郷」を示すその言葉を、安易に使うこともどうかと思うわけで・・・。
というより、諸般の事情により、この名を掲げることが出来なくなったようである。
今年から名称が、「いわて盛岡映画祭」になったという。
その名の通り、ミステリーにこだわらない内容のようである。
「みちのく(東北地方)」と言うスケールから「いわて(岩手県)」への縮小、と取ればいいのだろうか?
まぁ、そのあたりは言葉のアヤである。
気になるのは、なぜ単に「盛岡映画祭」ではないのか、ということだ。
フィーリングの問題だろうか、こちらの方が語呂も落ち着きもいい。
盛岡というピンポイントのお祭りなんだから、何も岩手という広大な大地を標榜しなくて良いような気がする。
「いわて」と「盛岡」が並ぶと、どうも焦点がぼやける。
「岩手盛岡」だと、いかにも不自然だから「いわて盛岡」なんだと思うが、もはや「いわて」が必要なのかって話である。
それは、何についてもであるが。(「いわて花巻空港」とかさ)
勝手な推論だが、「岩手のみんなで盛り上げていこう」ってな心意気なのかも知れぬ。
「どうせ盛岡だけのお祭りでしょ」という批判を避ける意味もあるのかもしれない。
が、ごく私的な感情ながら、「岩手」「盛岡」が並んでいることに凄く違和感を感じている。
どれぐらいの話かというと、「岩手県盛岡市」っていう住所表記の字面に対してすら、既に違和感を感じている次長なのである。
それぐらい根本的な話だから、映画祭の例を出したのに他意はないことを付け加えておく。
この違和感は、
よそ者が福岡市を漠然と「博多」と呼ぶのに対する違和感に近い。
確かに最大のターミナルは「博多駅」だが、
福岡市民は誰もが自らを「博多っ子」と呼んだりしないし、
それは「福岡市博多区」というエリアに限った話である。
次長が福岡に居た頃、その感覚はまさに「よそ者」そのものであった。
NHK連続テレビ小説が放送されている間、
「どんどはれの舞台 岩手・盛岡」と言うのぼりが多くあった。
かたや、JR他が駅構内で進めているキャンペーンののぼりには
「美し国 伊達な旅 仙台・宮城」とある。
前者と後者とでは、ご覧の通り県名と市名とが逆表記。
政令指定都市だからと言えばそれまでだが、
それでも県名に先んじて市名が先行する仙台、これは明らかに意図的なものである。
これより後の話ではあるが、
例の社会保険庁問題で、宮城県大崎市が度々取りざたされた。
が、かなりの割合で、テレビキャスターがこれを「宮【崎】県大崎市」と取り上げるのを見聞した。
それぐらい、宮城県というのはマイナーな県なんだと思った。
かたや、県知事が広報推進に躍起な宮崎県、
鹿児島県川内(せんだい)市はその響きを返上し、薩摩川内市に改称。
宮城県の知名度は没落の一途、仙台市とは反比例の動きである。
余談ではあるが、
東北自動車道の「仙台宮城インターチェンジ」は、旧宮城町(現在の仙台市青葉区)にあり、
仙台市は宮城野区を置くことで、「宮城」の名を内包した。
歴史で言えば「宮城」が古いのだろうが、全国的知名度と主導権で「仙台」を選択したのである。
これは、「三陸海岸」の知名度が断然高いのに「陸中」のままでいる陸中海岸や、
盛岡城の認知度を上げんがために「岩手公園」の名を手放そうとする動きとは正反対である。
通例、政令指定都市は県名を冠しなくなる事が多い。
北海道札幌市、よりは札幌市白石区、
兵庫県神戸市、よりは神戸市灘区、
愛知県名古屋市、よりは名古屋市熱田区。
県名を掲げるとおぼろげなイメージが、冠が取れるとすっきりスマートになる。
横浜市は「横浜市神奈川区」が一宿場であった神奈川宿の名を内包している。
横浜がかつて、宿場から遠く離れた漁村(開国はするものの、宿場町に外国人が往来するのは堪らないという幕府の判断らしい)であったことを思えば、逆転現象である。
政令指定都市以外でも、掲げる文字でイメージが変わる。
「石川・金沢」だと「寒くて日本海の荒波ザッバーン」だが、
単に「金沢」だと、「豪華絢爛金箔仕上げ」に早変わり。
「盛岡」で何をイメージするかっていると結構悩ましいが、
「岩手」が先行すると余計ややこしくなる。
果たして、「岩手県盛岡市」で何をイメージできるか、という問題だ。
「盛岡・岩手」に変えたからどうだ、とは言わないが、
盛岡の知名度で岩手エリアを引っ張っていく、ぐらいの心積もりは欲しいものである。
そもそも、岩手というのは「岩手郡」のことであって、岩手県全体を指し示す言葉ではない。
岩手県全体を指し示す言葉、それは後にも先にも、「イーハトーブ」だけだというのが事実。
そんな事実にぶちあたると、結構驚愕である。
かといって、「理想郷」を示すその言葉を、安易に使うこともどうかと思うわけで・・・。
| Home |
