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2007.12.31
コンプレックス
誰しも、コンプレックスがある。
・・・のだと思いたい。
次長、コンプレックスの塊である。
世の中には、大変に恵まれた境遇に生まれた人が居るし、
それが本人の自認する所であれば、到底その自信には勝てない。
別に勝ち負けじゃないんだけれど、自信に満ちているその根拠が、
客観的にも明確だったりすると、二の足を踏んでしまうチキンである。
よく物を知っていて、それを広く伝える能力を持つ人は、幸いである。
よい環境、よい教育、よい性格、よい収入、
「よりよい」を追求すると、限りないことは分かっているのだが。
コンプレックスというのは、人によって様々である。
人が攻撃的になるのは、時に相手のコンプレックスを推し量れないときである。
そういう時、まずは相手の才能を認めてあげることが最良だ。
「東北コンプレックス」が、今も世の中には存在する。
それは例えば、北関東に接した東北地方の福島県が、
「事実上の北関東」を自称し始めたりすること。
または福島県に接する栃木県が、
「東北線」を「宇都宮線」と呼び変えたりすること。
長らく後進地帯とされた東北に対する意識は、もとより教育による影響が大きい。
何しろ、「征伐」の対象地域だったと教科書が教えているのである。
とかく教科書問題といえば隣国との関係が問われる傾向にあるが、
同じ国の中で「討伐」「征夷」と教えられる地域の不幸に言上げないのは、
東北人に対する「教育の成果」である。
教育と言うのは、本当に恐ろしいものだと思う。
戊辰戦争を経て「賊軍」と呼ばれた東北諸藩に対して、
明治以後、好意的な史観教育が為されたとはいい難い。
そして一方、今では考えられないほどの「言葉の壁」が存在した。
かつて地方出身者が上京すると言うのは、
非常に難しい話だったのかと、感じる瞬間があった。
それは、「東北コンプレックス」を根強く抱く人との出会いである。
彼が東京でどれだけ艱難辛苦の道を歩んだのか知らないが、
とにかく東北出身であることを隠し続けたという。
それは「損をするから」の一言で片付けられた。
反応が遅い、言葉にするのを億劫がる、訛りが邪魔をする。
昭和生まれでこの状況ならば、いわゆる「偉大な先人」らはどうだったのでしょうね?
と問うたら、「優秀な人は違うんだ、頭のデキが」と返答。
要は、個人的なレベルの話じゃないのか、と次長は思ったがとても言えなかった。
その人は、自分の才能について甚く自負を持っているようだった。
しかし、それが悉く「東北出身であること」を理由に跳ね除けられたと言う論調であった。
いや、それはどうなんだ・・・?
彼には、本当に才能があったのかもしれない。
が、それを語るときの口調はひどく威圧的で、正直、印象が悪い。
仮に優れた才能があっても、それを言葉にすることが不得意であれば、
世は人を認めないという結論がここにはある。きっと。
先般、小沢一郎氏が「東北人だから口下手」と発言して論議を巻き起こしたが、
彼の時代では確かにそんな認識があったのかもしれない。
ところが報道の論調は、むしろそれを根拠の知れないものとしておもしろおかしく、
「寒いから口を開けないというのは本当か」と実験までしてみせる始末。
もはや、東北人が口下手という意識は薄まっているのだろう。
関西あたりだと、まだ違うような気がするが。
いくら努力を自慢されても、
世に出るかもしれなかった可能性を振り返られても、
それを遮る理由が「東北出身だから」という口上は、どう聞いても「逃げ口上」であった。
かつて東北地方をコンプレックスに思った人は居ただろうが、
それは正当な評価でもなければ、納得できる筋道のある話では無い。
選択肢の少ない不幸、経済格差がもたらす不利は、確かにある。
しかし、「東北だから」という理由は、あまりにも荒唐無稽だ。
さらに彼は続ける。
自立的な青森、享楽的な秋田、先取的な宮城、
その狭間にあって身動きの取れない岩手、と。
当たらずとも遠からじ、だが、
全国区で虐げられる東北像、さらにその東北の中でひきこもる岩手像、と
まさに「自虐観」この上ない。
まったく、どうしたもんだこの人!
さらに困ったのは、「でも俺は絶対に違う」と「脱東北宣言」。
強かにずる賢く生きていると、強烈な「俺万歳」発言。
こういう人がいるのか、と狭い世界に小宇宙を見出した思い。(笑)
肩肘を張らずに生きてくださいよ、もういい年なんだから。
コンプレックスを抱えると、時に攻撃的になることを知った次長。
人のふり見て我がふり直せ、である。
・・・のだと思いたい。
次長、コンプレックスの塊である。
世の中には、大変に恵まれた境遇に生まれた人が居るし、
それが本人の自認する所であれば、到底その自信には勝てない。
別に勝ち負けじゃないんだけれど、自信に満ちているその根拠が、
客観的にも明確だったりすると、二の足を踏んでしまうチキンである。
よく物を知っていて、それを広く伝える能力を持つ人は、幸いである。
よい環境、よい教育、よい性格、よい収入、
「よりよい」を追求すると、限りないことは分かっているのだが。
コンプレックスというのは、人によって様々である。
人が攻撃的になるのは、時に相手のコンプレックスを推し量れないときである。
そういう時、まずは相手の才能を認めてあげることが最良だ。
「東北コンプレックス」が、今も世の中には存在する。
それは例えば、北関東に接した東北地方の福島県が、
「事実上の北関東」を自称し始めたりすること。
または福島県に接する栃木県が、
「東北線」を「宇都宮線」と呼び変えたりすること。
長らく後進地帯とされた東北に対する意識は、もとより教育による影響が大きい。
何しろ、「征伐」の対象地域だったと教科書が教えているのである。
とかく教科書問題といえば隣国との関係が問われる傾向にあるが、
同じ国の中で「討伐」「征夷」と教えられる地域の不幸に言上げないのは、
東北人に対する「教育の成果」である。
教育と言うのは、本当に恐ろしいものだと思う。
戊辰戦争を経て「賊軍」と呼ばれた東北諸藩に対して、
明治以後、好意的な史観教育が為されたとはいい難い。
そして一方、今では考えられないほどの「言葉の壁」が存在した。
かつて地方出身者が上京すると言うのは、
非常に難しい話だったのかと、感じる瞬間があった。
それは、「東北コンプレックス」を根強く抱く人との出会いである。
彼が東京でどれだけ艱難辛苦の道を歩んだのか知らないが、
とにかく東北出身であることを隠し続けたという。
それは「損をするから」の一言で片付けられた。
反応が遅い、言葉にするのを億劫がる、訛りが邪魔をする。
昭和生まれでこの状況ならば、いわゆる「偉大な先人」らはどうだったのでしょうね?
と問うたら、「優秀な人は違うんだ、頭のデキが」と返答。
要は、個人的なレベルの話じゃないのか、と次長は思ったがとても言えなかった。
その人は、自分の才能について甚く自負を持っているようだった。
しかし、それが悉く「東北出身であること」を理由に跳ね除けられたと言う論調であった。
いや、それはどうなんだ・・・?
彼には、本当に才能があったのかもしれない。
が、それを語るときの口調はひどく威圧的で、正直、印象が悪い。
仮に優れた才能があっても、それを言葉にすることが不得意であれば、
世は人を認めないという結論がここにはある。きっと。
先般、小沢一郎氏が「東北人だから口下手」と発言して論議を巻き起こしたが、
彼の時代では確かにそんな認識があったのかもしれない。
ところが報道の論調は、むしろそれを根拠の知れないものとしておもしろおかしく、
「寒いから口を開けないというのは本当か」と実験までしてみせる始末。
もはや、東北人が口下手という意識は薄まっているのだろう。
関西あたりだと、まだ違うような気がするが。
いくら努力を自慢されても、
世に出るかもしれなかった可能性を振り返られても、
それを遮る理由が「東北出身だから」という口上は、どう聞いても「逃げ口上」であった。
かつて東北地方をコンプレックスに思った人は居ただろうが、
それは正当な評価でもなければ、納得できる筋道のある話では無い。
選択肢の少ない不幸、経済格差がもたらす不利は、確かにある。
しかし、「東北だから」という理由は、あまりにも荒唐無稽だ。
さらに彼は続ける。
自立的な青森、享楽的な秋田、先取的な宮城、
その狭間にあって身動きの取れない岩手、と。
当たらずとも遠からじ、だが、
全国区で虐げられる東北像、さらにその東北の中でひきこもる岩手像、と
まさに「自虐観」この上ない。
まったく、どうしたもんだこの人!
さらに困ったのは、「でも俺は絶対に違う」と「脱東北宣言」。
強かにずる賢く生きていると、強烈な「俺万歳」発言。
こういう人がいるのか、と狭い世界に小宇宙を見出した思い。(笑)
肩肘を張らずに生きてくださいよ、もういい年なんだから。
コンプレックスを抱えると、時に攻撃的になることを知った次長。
人のふり見て我がふり直せ、である。
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