誰しも、コンプレックスがある。
・・・のだと思いたい。

次長、コンプレックスの塊である。
世の中には、大変に恵まれた境遇に生まれた人が居るし、
それが本人の自認する所であれば、到底その自信には勝てない。
別に勝ち負けじゃないんだけれど、自信に満ちているその根拠が、
客観的にも明確だったりすると、二の足を踏んでしまうチキンである。

よく物を知っていて、それを広く伝える能力を持つ人は、幸いである。
よい環境、よい教育、よい性格、よい収入、
「よりよい」を追求すると、限りないことは分かっているのだが。

コンプレックスというのは、人によって様々である。
人が攻撃的になるのは、時に相手のコンプレックスを推し量れないときである。
そういう時、まずは相手の才能を認めてあげることが最良だ。

「東北コンプレックス」が、今も世の中には存在する。
それは例えば、北関東に接した東北地方の福島県が、
「事実上の北関東」を自称し始めたりすること。

または福島県に接する栃木県が、
「東北線」を「宇都宮線」と呼び変えたりすること。

長らく後進地帯とされた東北に対する意識は、もとより教育による影響が大きい。
何しろ、「征伐」の対象地域だったと教科書が教えているのである。
とかく教科書問題といえば隣国との関係が問われる傾向にあるが、
同じ国の中で「討伐」「征夷」と教えられる地域の不幸に言上げないのは、
東北人に対する「教育の成果」である。
教育と言うのは、本当に恐ろしいものだと思う。

戊辰戦争を経て「賊軍」と呼ばれた東北諸藩に対して、
明治以後、好意的な史観教育が為されたとはいい難い。
そして一方、今では考えられないほどの「言葉の壁」が存在した。

かつて地方出身者が上京すると言うのは、
非常に難しい話だったのかと、感じる瞬間があった。
それは、「東北コンプレックス」を根強く抱く人との出会いである。

彼が東京でどれだけ艱難辛苦の道を歩んだのか知らないが、
とにかく東北出身であることを隠し続けたという。
それは「損をするから」の一言で片付けられた。

反応が遅い、言葉にするのを億劫がる、訛りが邪魔をする。
昭和生まれでこの状況ならば、いわゆる「偉大な先人」らはどうだったのでしょうね?
と問うたら、「優秀な人は違うんだ、頭のデキが」と返答。
要は、個人的なレベルの話じゃないのか、と次長は思ったがとても言えなかった。

その人は、自分の才能について甚く自負を持っているようだった。
しかし、それが悉く「東北出身であること」を理由に跳ね除けられたと言う論調であった。
いや、それはどうなんだ・・・?

彼には、本当に才能があったのかもしれない。
が、それを語るときの口調はひどく威圧的で、正直、印象が悪い。
仮に優れた才能があっても、それを言葉にすることが不得意であれば、
世は人を認めないという結論がここにはある。きっと。

先般、小沢一郎氏が「東北人だから口下手」と発言して論議を巻き起こしたが、
彼の時代では確かにそんな認識があったのかもしれない。
ところが報道の論調は、むしろそれを根拠の知れないものとしておもしろおかしく、
「寒いから口を開けないというのは本当か」と実験までしてみせる始末。
もはや、東北人が口下手という意識は薄まっているのだろう。
関西あたりだと、まだ違うような気がするが。

いくら努力を自慢されても、
世に出るかもしれなかった可能性を振り返られても、
それを遮る理由が「東北出身だから」という口上は、どう聞いても「逃げ口上」であった。
かつて東北地方をコンプレックスに思った人は居ただろうが、
それは正当な評価でもなければ、納得できる筋道のある話では無い。

選択肢の少ない不幸、経済格差がもたらす不利は、確かにある。
しかし、「東北だから」という理由は、あまりにも荒唐無稽だ。

さらに彼は続ける。
自立的な青森、享楽的な秋田、先取的な宮城、
その狭間にあって身動きの取れない岩手、と。

当たらずとも遠からじ、だが、
全国区で虐げられる東北像、さらにその東北の中でひきこもる岩手像、と
まさに「自虐観」この上ない。
まったく、どうしたもんだこの人!

さらに困ったのは、「でも俺は絶対に違う」と「脱東北宣言」。
強かにずる賢く生きていると、強烈な「俺万歳」発言。
こういう人がいるのか、と狭い世界に小宇宙を見出した思い。(笑)

肩肘を張らずに生きてくださいよ、もういい年なんだから。

コンプレックスを抱えると、時に攻撃的になることを知った次長。
人のふり見て我がふり直せ、である。
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