いくつかのブログにも採り上げられていたが、
花見シーズンを前に、岩手公園周辺が騒がしいようだ。

例の、「岩手公園改称問題」である。
どういった勢力がそれに固執しているのか、定かではないが、
「岩手公園」という呼び名を事実上改め、
「盛岡城跡公園」に変えてしまおう、という行政ぐるみの算段。

「岩手公園」周囲の表示など、すべて「盛岡城跡公園」に着々と変更作業。
他にいくらでもやることはありそうだが、これは優先順位からして先なのか。
中核市に移行しても、結局関係する部署って一部なのか、
あるいは職員に余力があるのか。

言わば、「改称問題」というより「解消問題」と名づくべきか?
「岩手公園」と100年呼び続けられた公園を、
全て解消するという「見えざる手」が、かの地に及んでいるようである。

元は盛岡城なのだから、盛岡城跡と呼ぶのは悪くない。
しかし、岩手公園と呼び親しまれている公園に対して、「盛岡城跡公園」と別名を付す煩わしさは何?
しかもこの動きに反対が多数だったからと「やっぱり愛称ぐらいにしときます」と問題のすり替えでは解決しない。
愛称なのに、なんで「盛岡城跡公園(岩手公園)」と、この順番で並ぶのか。
これは、全く日本語の理解力の問題である。

何が問題なのか、一つの意見として言わせてもらおう。
百年使い続けられた名称を変えるには、それ相当の覚悟が要る。
覚悟とは、「世代間の分断」に対するリスクとメリットへの覚悟だ。
この先、「岩手公園」と呼ぶ世代と「盛岡城跡公園」と呼ぶ世代が乖離する日が来るとしよう。
行政が必死に「岩手公園を解消」して「盛岡城跡公園へ改称」を図れば、
無い話ではない。

その時、「岩手公園」は負となり悪となり、時代遅れな言葉と蔑まれるだろう。
それを使っている人々に対する視線も同化してゆく。
そこに一切の問題はないのか、と言う視点である。

「盛岡城跡公園」という呼び名を若者へ定着させているかに見える動きもあるが、
「岩手公園」を覆す理由は、そこに無いはずだ。
まずもって、名義上の「岩手公園廃止の理由」が、知りたい。
盛岡城であったことを知ってもらうことがメリットを生むと信じてのことなら、
その理由をしっかり説明する必要がある。これは、公に対する説明責任だ。
これを些細な話ととらえるか、重大な話だと考えるか、それはもうセンスの問題だが。

変わるべきものは世の中に多く、変わらないものの方が少ない。
しかし、これは敢えて変える意味が不明なのである。
「岩手公園」に、「盛岡城跡公園」と変える意味が。

「変えるのではない、愛称をつけたのだ」と声高に叫ぶ一方で、やってることに一貫性がない。
結果、二重の命名をして混乱を招くだけだ。
「もりおかしろあとこうえんってどこですか?」って聞かれたら寒々しくて嫌だし、
「もりおかじょうしこうえんってどこですか?」って聞かれても読み方直したりするの面倒。
結局、「岩手公園はですね」って教えて「いや、岩手公園じゃなくてもりおかじょうせきこうえんなんですけど」
って言われたら、もう放置したくなる。(笑)
岩手公園が盛岡城跡であることを知らせたいのは、一体どこの誰なんだ?
で、観光客に対してか、盛岡市民に対してなのか???

世代を超えて共通認識となっている「市民偕楽の地」を、
歴史的認識を高めるために改名して上から押し付けるという思想が、既に封建時代への逆行だ。
岩手公園が盛岡城跡であることをそんなに知らしめたいなら、
「盛岡城跡・岩手公園」で十分。
なんでそんな簡単なことが分からないのか、次長には分からない。
そもそも、盛岡城があったことを知らない市民が多いなら、
そういう教育を施してこなかった市立学校のせいでしょう?
それが一つの理由であり、責任だと思うのだが。

岩手公園は、今から100年前に考案された先人の意志を引き継いでいるからこそ、貴いのだ。
それも100年後も使っている市民がいることの「連続性」が、重いのである。

かたや、お城は400年前からあるが・・・・という意見も当然あるだろう。
が、お城なんざ遥か雲上のもので、庶民が「盛岡城」って呼んでたのかって言うとこれは疑問。
400年の名誉と、100年の史実を足したら、「盛岡城跡・岩手公園」でカタがつく。

巷間の議論を無視して、粛々と「解消手続き」を進める姿は、
多くの先人を顕彰する自治体の姿とは、相容れない。

この先100年後、「コズカタパーク」なんかに変えられたらどう思う?
その度ごとに歴史は復古したようで断絶してゆくし、
断絶する前例を100年後に示しているわけですよ。

どこへいく? 中核市・盛岡よ。
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