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2008.04.07
会津への謝罪
ウェブニュースをご覧の皆様はよくご存知だろうが、
4月8日に、TBSが会津若松市をはじめとする関係機関と市民に対し、
お詫び放送をするのだそうである。
事の発端は、
TBSが放送したテレビ番組のクイズ問題で、
「戊辰戦争で旧幕府軍(会津藩)が城を明け渡した理由」について、
正答を「糞尿が貯まったから(不衛生になって)」とし、
城内の人々を「降伏」ではなく「逃げ出した」と表現したこと。
番組そのものをTBSが創ったのかどうかはともかく、
全国へ向けてそうした内容を「正しい」と送出してしまった責任はあるのだろう。
そしてまた、ここに「歴史認識」という非常に難しいテーマがあることを思うのだ。
とかく、こうした問題は諸外国の、
特に宗教議論や対立の著しい地域のものだと考えられ、
日本国内でそうしたわだかまりがあるという認識は、正直低いと思う。
いや、あるいは北海道や沖縄では逆に強いのかもしれない。
日本の歴史の表舞台に立ってきた奈良・大阪・京都はじめ、
支配と被支配の間で揺れた全国のほとんどは、お国意識は実のところ強いのだろう。
逆を言えば、東京だけが突出しているのかも知れない。
いわゆる公武合体で、最終的に可もなく不可もない首都に祭り上げられた結果、
経済先進地域の西日本から見れば「東に偏った」、
被支配の歴史を重ねた北日本から見れば「適度に程近い」、
全体とすればベストポジションでリベラルな一点である。
そんな東京のリベラルさが仇になった
ともいえる、この一件。
なんとも物悲しい側面をも背負っている。
制作した側は、よもやそうした批判を受けるなどと考えもしなかったと思う。
この平成のご時世において、江戸時代の人々の気概がどーこーなんて・・・・ってくらいか?
実際、ネット上では「100年も前のことを」なんていう意見も確かに見える。
ただ・・・・たかだか100年ちょっと前にそんなことがあった日本って凄くない??
それから100年なんて、決して遠い話ではないと思う。
会津には苦難の歴史のなかにも誇り高く生きた人々の伝承がある。
そこで開城原因を一つに限定し、逃げ去ったと面白おかしく説かれては、
会津若松の人々が憤慨するのも無理は無い。
現代人、特にネットで世界と情報共有が最初から当たり前な若年層だと、
むしろ世界と身の回りの違いが見えなくて、
アイデンティティが薄いんだろうなと思う。
明治の初め、会津若松が今の福島県で一番の都市だったのに、
県庁の所在地にされなかった理由、
福島県が会津県にならなかった理由、
会津に国立大学が置かれなかった理由、
それは「会津が賊軍呼ばわりされて辛酸を嘗めた結果」という認識が
会津の地には生きている。
一方で、それをバネにして会津を高めようという意識もまた、生まれているわけだ。
そういう奥深いところから「歴史認識」は現代まで続いているわけで、
「歴史に”もしも”は無い」とか「そんなの荒唐無稽」といい始めたら、キリがなくなる。
結局のところ、「開城した理由」を辱められるのも、敗者と目された結果なのだから。
会津若松市の、鶴が城に対する思いは格別である。
だって、「tsurugajo.com」ってドメインまで持ってるんだからさ・・・・。
これ観りゃ、一連の流れが一発で早分かり。
城についての記述も薄けりゃ、関連展示物を置く博物館も無いどこかの市とは段違い。
それでいて、公園の名前だけ先行して変えますよ!と息巻かれても、ねぇ。
会津は連綿として、一つに貫く誇りを守り、現代に到るまで脈々とそれを息づかせている。
そうした意識が市民サイドにも無ければ、TBSほどの大企業を揺り動かす力にはならないだろう。
それを受け止めるTBS側の姿勢も、あっぱれだと次長は思うが・・・・。
こうした温度差を、異動を通じ身にしみて感じる次長なのでした。
会津っぽ、さすがです・・・・。
4月8日に、TBSが会津若松市をはじめとする関係機関と市民に対し、
お詫び放送をするのだそうである。
事の発端は、
TBSが放送したテレビ番組のクイズ問題で、
「戊辰戦争で旧幕府軍(会津藩)が城を明け渡した理由」について、
正答を「糞尿が貯まったから(不衛生になって)」とし、
城内の人々を「降伏」ではなく「逃げ出した」と表現したこと。
番組そのものをTBSが創ったのかどうかはともかく、
全国へ向けてそうした内容を「正しい」と送出してしまった責任はあるのだろう。
そしてまた、ここに「歴史認識」という非常に難しいテーマがあることを思うのだ。
とかく、こうした問題は諸外国の、
特に宗教議論や対立の著しい地域のものだと考えられ、
日本国内でそうしたわだかまりがあるという認識は、正直低いと思う。
いや、あるいは北海道や沖縄では逆に強いのかもしれない。
日本の歴史の表舞台に立ってきた奈良・大阪・京都はじめ、
支配と被支配の間で揺れた全国のほとんどは、お国意識は実のところ強いのだろう。
逆を言えば、東京だけが突出しているのかも知れない。
いわゆる公武合体で、最終的に可もなく不可もない首都に祭り上げられた結果、
経済先進地域の西日本から見れば「東に偏った」、
被支配の歴史を重ねた北日本から見れば「適度に程近い」、
全体とすればベストポジションでリベラルな一点である。
そんな東京のリベラルさが仇になった
ともいえる、この一件。
なんとも物悲しい側面をも背負っている。
制作した側は、よもやそうした批判を受けるなどと考えもしなかったと思う。
この平成のご時世において、江戸時代の人々の気概がどーこーなんて・・・・ってくらいか?
実際、ネット上では「100年も前のことを」なんていう意見も確かに見える。
ただ・・・・たかだか100年ちょっと前にそんなことがあった日本って凄くない??
それから100年なんて、決して遠い話ではないと思う。
会津には苦難の歴史のなかにも誇り高く生きた人々の伝承がある。
そこで開城原因を一つに限定し、逃げ去ったと面白おかしく説かれては、
会津若松の人々が憤慨するのも無理は無い。
現代人、特にネットで世界と情報共有が最初から当たり前な若年層だと、
むしろ世界と身の回りの違いが見えなくて、
アイデンティティが薄いんだろうなと思う。
明治の初め、会津若松が今の福島県で一番の都市だったのに、
県庁の所在地にされなかった理由、
福島県が会津県にならなかった理由、
会津に国立大学が置かれなかった理由、
それは「会津が賊軍呼ばわりされて辛酸を嘗めた結果」という認識が
会津の地には生きている。
一方で、それをバネにして会津を高めようという意識もまた、生まれているわけだ。
そういう奥深いところから「歴史認識」は現代まで続いているわけで、
「歴史に”もしも”は無い」とか「そんなの荒唐無稽」といい始めたら、キリがなくなる。
結局のところ、「開城した理由」を辱められるのも、敗者と目された結果なのだから。
会津若松市の、鶴が城に対する思いは格別である。
だって、「tsurugajo.com」ってドメインまで持ってるんだからさ・・・・。
これ観りゃ、一連の流れが一発で早分かり。
城についての記述も薄けりゃ、関連展示物を置く博物館も無いどこかの市とは段違い。
それでいて、公園の名前だけ先行して変えますよ!と息巻かれても、ねぇ。
会津は連綿として、一つに貫く誇りを守り、現代に到るまで脈々とそれを息づかせている。
そうした意識が市民サイドにも無ければ、TBSほどの大企業を揺り動かす力にはならないだろう。
それを受け止めるTBS側の姿勢も、あっぱれだと次長は思うが・・・・。
こうした温度差を、異動を通じ身にしみて感じる次長なのでした。
会津っぽ、さすがです・・・・。
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