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「全聾の作曲家」
そんなキャッチが躍り出た、某氏。
というのも、もはやこの案件、過去形で語るべきものとなった。

氏の作品が実は、第三者の創作だった。
実の作者本人が名乗り出るのは、背景に不満があったのに相違ない。
ゴーストライターとして秘するべき立場にあった人の暴露、
それはそれで問題も大きい。
仮にもそれを承諾して、対価を受け取っていたのだから。
これはこれで契約不履行に当たらないのか、少し心配している。

とは言え、もはや表面化した問題である。
創作の動機が公表されているものとは違う、
氏は実は全聾ではない、とまで来れば、
涙を返せ、感動を返せという話になる。
曲そのものの価値だけでなく、愛好者は何より、
「全聾の作曲家」が精魂込めて書き上げたことにも感動を寄せていた。
いわゆる「付加価値」である。

物が違えば、
消費者サービスセンターに電話が殺到していてもおかしくない。
早い話、「産地偽装」と何が違うのか。

かの有名な新潟・南魚沼産コシヒカリのはずが、
そのそばの違う地域のお米でした、みたいな。
しかしながら、そのお米は「特Aクラス」の一級品。
素性を知れば、最初からそれを買っていたかも知れない。
ただ、「南魚沼産」のネームバリューが強い。予備知識が選択の決め手となる。
そんな実態を表すように、南魚沼を謳って市場に流通する米は、
実際の南魚沼産米の何倍もあるとも聞く。

良いものは良い。
消費者も良いと分かって買ってはみるが、
付加価値には簡単に踊らされる。
そしてその価値は、絶対的ではない。

何しろ、人々が感動を寄せるのは、その物自体が「うまい」からに他ならない。
「ゴーストライター」は、それだけの実力、経歴がありながら、
なぜ自分の作品として売り出さなかったのか。
ここに、「創られる感動」のカラクリを見る。
ネタになるものに飛びつく消費者と、それを取り巻くものを。

「一体何者なのか」
マスコミは付加価値を求めてやまず、氏が本当に広島出身なのか、
そしてそれは本名なのかというネタ探しに走り出した。
村上水軍の末裔と伝えられるという情報もまた「付加価値」
被爆二世という存在が生み出す広島への音楽に意味がある、そう本人が言った。
頭を打った鼻血を流した、と創作活動に何ら関わりのない背景にこそ、
手を合わせて礼賛するのが消費者。

事実でない、創作物だった、と
「一杯のかけそば」なる物語を批判したのも今は昔。
いい話だなぁと感動しておいて、創作だと知ると非難する。
最初から創作だと分かっていれば、感動しなかったのか。
感動とは、目の前の事実以外はすべて創作だ。

シナリオありきの感動を寄せ集める、
その集大成が「テレビ」
感動は感動すべきものではありませんでした、と。

今や「自称・作曲家」と貶められ、
出生にまで遡り、その足取りを徹底的に洗い出される。
血の汗を流したであろうことさえ、嘲笑の対象である。

いま、テレビの創作的なシナリオによって、
創られた感動は、たちまち否定されている。
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