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2014.03.22 郷土愛
盛岡は、郷土愛の薄い地域である。

…といっては語弊もあるだろう。
言葉を替えれば、
「地域に寄せる明確な愛を言葉で表明しない土地」に思える。
3月。そんなこの地を後にする子どもたちは、
「帰るべき場所」として、この地を認識するのかどうか。

殊に九州・沖縄あたりに行くと、
「ここの名物はこれとこれです、ぜひ食べていって下さい」
そうしたプロモーションが熾烈を極める。
だが、盛岡ではこういう場面にそうそうお目にかかることは無い。

内々では物申すが、外側に対してはなかなか発信しない。
地域性、土地柄と言えばそれまでだが、
とある方の言葉を借りれば、
「冬が寒いこと、雪が降ることでさえ、我が責任の如く言う」
それが逆に売りになるとは、夢にも思っていない。
青森や秋田は「地吹雪体験」やら「かまくら」と、
冬そのものを、立派な商品にしているのに。

「中途半端な発展」が、それを後押しする。
守ると守らないの中庸を往く。どっちつかず。
それは、今あるものの有り難味を感じていないから。

「もりおか暮らし物語」と銘打つテレビCMを見た。
市内に点在する名所を挙げて、盛岡をPRしている。

知らない人へ知るように伝えていく努力。
こうした取り組みは非常に素晴らしいと思う。
ただ、どうしても気になったことがある。

1、 このCMは、誰が誰に向けたものなのか。
「盛岡ブランド」を表現するというロゴマークが画面の最後を締めるが、
「盛岡市」という表記は一切無い。
特定テレビ局のアナウンサーが画面を席巻するために、
そのテレビ局が自主的に、盛岡市のPRを買って出たような印象さえある。
民間企業がそんな殊勝なことはしないだろうから、実際は市のPRなんだろう。
イメージが漠然とする。観光誘致の勢いもない。
「いいな」と感じさせるのではなく、「いいんです」の周知。
知らない人には「盛岡バンザイ宣言」にしか見えない。
そんな自己完結に、市民はどうしたらよいのか。

2、「盛岡ブランド」の脆弱性
10年ほど前から、他の都市はしきりに
「シティーセールス」「シティプロモーション」という言葉を使っている。
市の特性、優位性を他と数字を用いて具体的に比較し、
コンベンション開催や企業の誘致を図るイメージアップ作戦。
実際は、対外的な自治体間競争の生々しい手段である。
その一環として「ブランド」という言葉も使われてはいるが、
「盛岡ブランド」はもはや、「地場産品認証制度」でしかない。
どうも、「地域価値の醸成」と「地域産品の発掘」を
一緒くたにしてしまったような印象がある。

では、どうすれば良いのか。
「もりおか暮らし物語」のステッカーやのぼりを市内随所に掲げれば良いのか。
一番陥りやすそうなミスではある。
何しろ、これはポスターやCMの作り手に問題があるのではなく、運用する市そのものの課題。
「もりおか暮らし物語」の理念の下に、
盛岡市がどういった施策を行っているかが、具体的に見えなければならない。
よもや「市が認めた地場産品こそがブランドを形作る」などと
間違っても思っていないことを願う。

崇高な理念とは裏腹に、その理解が政策に反映されているのかどうか。
盛岡市が「他都市との違いを明確に打ち出している」ようには見えない。
感想を求められて、即座に答えに窮する街並み。
人口規模だけでそのスケールを比較すれば、このぐらいの町は日本国中どこにでもある。
選ばれ、勝たなければ、生き残らなければ、
そういう思いが(あるのだろうけれど)見えない。

近頃、「ブランド」として大きな成果を上げていると感じるのが、「三陸鉄道」
被災しても立ち上がる現実とイメージ、
現実にオーバーラップする「あまちゃん」や「鉄道ダンシ」など架空のキャラクターたち。
「西武鉄道」など同業他社との協業と相乗効果、
こうした成功の背景にあるもの、
「外部からのアイディアを大いに受け入れている」ことがある。

選ばれ、勝たなければ、生き残らなければ。
三陸鉄道は、震災に見舞われる前からそういう努力している。
努力には、正しい方向性があると思う。

賛否両論はあるが、「奇跡の一本松」も
震災を風化させない「ブランド力」を放っている。
この存在だけで、陸前高田市、高田松原の名は失われない。
「郷土愛」そのものが、この一本に託されているから。

「ハリボテの松なんて」と罵声を飛ばす向きもある。
とはいえ、そこに松は存在するのだ。
「ここに昔、一本松がありましたとさ」では伝わらない皮膚感覚。
もはや城の無い公園をわざわざ「盛岡城跡公園」と呼ぶのと、
こういうお城があったと「一部でも復元する」のではまるで意味が違う。

平泉でさえ、世界遺産に登録されたことでそのブランド力を保ったが、
「昔ここに壮麗な建築物がありましたとさ」では、
何の知識も無い物見遊山の人々には何ら響かない。

たとえ登録されなかったとしてもその価値そのものは変わらないが、
金色に輝く仏堂、浄土を想像させる大池に湛えられた水。
それを目にして初めての「一般化」
まさに「かろうじて」だ。

そういうシンボル性が、ブランド力なのではないのか。
だとすれば盛岡は・・・
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