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「言いにくい話だけど」
そんな前置きから、彼は切り出した。
「会葬御礼って、普通は葬儀の日に出すもんだよね?」

そもそも、「我々は葬儀には出席していない」
亡くなった方とは面識もなく、しかも遠隔地のことでもあって、
共通の知人に「不祝儀袋」を託したのだ。

「会葬御礼を頂いてないんですけど」とはさすがに言いにくい。
「本当にお届け頂いたんですよね?」と言えば、
まるで不幸に乗じた横領を疑うようにも聞こえなくはない。

言えなかったが、自身も実は同じような疑問を抱いていた。
かつてこういったことが、一度も無かったから。
葬儀であれ火葬であれ、そこでお茶や海苔、近頃では珈琲などを配る。
宗派によっては「お浄め塩」があったり無かったり。
それが「普通」だと思っていた。

知人の言葉で尚更わだかまりが渦巻いたが、
一か月も過ぎた頃、自宅に遠方の百貨店から大層立派な荷物が届いた。
そこには、葬儀一切の完了と御礼をしたためる手紙が添えられていた。
そこで、はたと気づいたのである。
これは、葬儀にまつわる「風習の違い」だと。

葬儀当日に会葬御礼を配るというのは、言わば簡素化された略式である。
日を置いて、改めて御礼を重ねて悲しみを繰り返すよりは、
という思いもあるのかも知れない。

一部では、今なお忠実に言わば「本式」が守られており、
これだけ立派なお品が届けば御礼の手紙の一つも、と思ってしまったが
それは「不幸への御礼」になるので一切不要なのだとか。
それもまた、不慣れな側には心苦しくもあるが。

思えば京都のコンビニでは、
「黄色い水引」のついた袋が、コンビニで当たり前に売られている。
歴史と伝統の古都では、これを黒白の水引と使い分けるらしい。
しかも調べていくと奥が深い。
本物の紅を使った紅白の水引は、黒白に見えるのだという。
これとの誤解を避けるため云々…話は続いてゆくが、このあたりで。

ともあれ、「言えなかったこと」は「言わなくて良かったこと」だった。

あの日、「御悔」と薄墨で自筆した不祝儀袋を携えた。
新潟出身の知人は、市販のもので同様「御香奠」を。
これはあくまでもごく個人的な見解だが、
なんとなく字面として「御霊前」っていうのに抵抗がある。
事切れて直後はこの表記、何日経ったら「御仏前」というのが定説。
だが、遺された方々に「悔やまれる気持ち」が伝わらないような気がして、
こう書くようにしている。
とは言え、風習の違いの前に、この表現がどう受け止められたのか。

盛岡では「葬儀に出られなければ火葬に」と当たり前のように言われるが
他地方では火葬前の告別にさえ、親族以外が参列することは非常に珍しく、
そもそも「火葬」の文字も列記しないし、その日程が公表されることも無い。
これは、外来の方々に驚かれる「風習の違い」である。

近年、「盛岡市火葬場」の名称が「盛岡市斎場」と改められたのも、
ひとつの時代の趨勢なのかも知れない。
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