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2015.04.04 東北大震災
遠い場所の出来事なんだな、と思う。
青森県から千葉県に到る太平洋沿岸全体の惨禍から4年。
「あの日」の回顧を喧しいまでに受け止め、4年を過ぎたら途端、また話題にも上らない。
今でも、「東北大震災」なんて言葉を時折目にする。

言葉に拘る必要はないのかも知れない。
ただ、4年もの間「東日本大震災」という言葉を引きずる側には、意外に堪える。
事実、東北の罹災状況がとりわけ酷かったにしても、
いまだ同じ言葉では共有されていない、ということ。
それほど遠い場所の出来事と受け止められている「距離感」
あるいは、千葉や茨城は早々に復旧を成し遂げているのか。
その理由は、「東京に近いから」なのか。

当地岩手ではまた、呼称が違う。
県が公式に用いているのは「東日本大震災津波」らしい。
被災は津波によるものが圧倒的。沿岸部と内陸部の温度差は依然としてある。

内陸部は目に見える復旧を概ね成し遂げた。
が、「外側からの目」には思わぬものがあった。
「インフラが停まって数か月も不自由を強いられたのは十分に【被災】なのに、
 岩手県内陸部の人はなぜそれを【被災】と捉えないのか?」
都会の人の声はいつも、新鮮に感じる。
「万全な利」を常としない地方人にとって、これは目から鱗だった。

故郷に帰ることのない人々の、夢の跡を映しては、
「4年経っても手つかずのまま」と多くのメディアは報じる。
現実は「元通り」を望まれていない事実にどこまで触れるのか、
これは、「●年ぶりに現地を訪れました」では到底つかめない真実である。

「人と地域の絆を」「被災地の思いに寄り添う」と美辞麗句は並ぶが、
被災者は夢の中に生きているのではなく、一番緊迫した現実に向き合っている。
いまを生きている人が、支障なく生きることそのものに障害がある。
これを、現行の福祉制度は解決できるのかどうか。

復興予算で、福島県は元気がいいのだと聞く。
東北最大の都市・仙台市、それを抱える宮城県は国連の世界防災会議で耳目を集める。
鈍牛の如く、地味に地道に進むのが岩手県。
言い出せばきりがないが、「東北」っていう括りは、
誰のための何なのか。
Secret

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