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早くも過去の話のようではある。
が、渦中の企画はじわじわと進行している。

「愛が無い」んだそうだ。
「盛岡ブランドポスター」について、
批判的立場から、そんな声を見聞きする。

個人的な思いを言えば、
愛だけでは解決できない、途方もないものがそこにある気がした。
はっきり言ってしまえば技量。言葉の重み、映像の深さ。
いくら愛があっても、伝えることができなければ意味は無い。
技術の高さと愛の重さは、全くの別の物である。
それを敢えて「愛」と喩えることに、もっとも愛を感じるのだが…。

これを伝えたくてこの写真を撮って、
この言葉をこの文字で合わせれば共感を得られるんじゃないか、
という一連のプロセスは、誰にでも実現できるものではない。

「選ばれるための都市をめざす=市のブランド推進」のと同じように、
選ばれることをめざしてデザインのプロは仕事をしている。
なのに、選ばれようもない初期選択を市はしてはいないか、
というのが疑義の本質だろう。

「稚拙だが子どものポスターコンクールだから思いを汲んでやろう」
なんてことにはならない。
上意下達での世の中への公表。
選択肢を用意する段階から市民の声を聞くべきだった。
市は「この中から選べ」と言い
市民は「なぜこの選択肢を用意した?」と返す。

選択を前提としているので、100枚のポスターには題材の重複がある。
しかし、「この町にはもっといいものがある」と反論する批判側。
これでは永遠にかみ合わない。

それでも盛岡市は進化しているのだ。
かつて岩手公園に愛称を付すと発表し、
「盛岡お城跡公園」「盛岡城跡公園」の二者択一を市民に迫った。
これに比べれば選択肢をこれだけ広げたのはある意味で学習成果と言えよう。
(皮肉です)

が、世の評価を受ける前に100種も印刷してしまったのは痛い。
もっとも、「みんながインターネットを見られる環境にない」
という配慮はあるのだろう。
100種を一堂に会さなければ比較できない、という肝心要な点を置き去りにして。
そんな場面がいま、どこにあるのか?
支所や活動センターの果てまで、掲出を徹底しているんでしょうね。
色褪せるまで貼り続けるんでしょうね。

注目すべきは「おかしい」と感じていない人の存在である。
色々あっていいじゃない、自由と選択はあるべきだ、と。
いや、それは大きな履き違えですよ・・・
良いものを良く伝えようという場面で、
「それぞれに感じ方は違います」では伝えること自体の意味を否定することになる。
こうなると、「感性」と「税金で試みることへの寛容度」の問題。
話題になったこと自体が炎上マーケティングと笑う人もいるが、
これは誰にとっても笑えない。

役所が面白くないことをすれば「税金の無駄」と叩くのは容易だが、
役所と市民が対立軸にあるという姿は、最も避けるべき構図。
市の新たなチャレンジを否定するきっかけにはなって欲しくない。

企画そのものは良い。ただ成果が追い付かなかっただけのこと。
一家言ある人たちの「言いたいことは解る。でも違うよね?」を
「本来あるべき姿」へ、ぜひ具現化してほしい。
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