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2016.05.06 流れの中に
連休中、岩手県公会堂に
「大日本市岩手博覧会」を訪ねた。

老若男女を問わずに、人が集う。
それはまさに、「博覧会の様相」だった。

主催は、「中川政七商店」
社名が古めかしいのは当たり前で、今年で創業300年。
ちょっと感度の高い人にはピンと来る言葉らしい。
「大日本市」は、元は奈良で麻を商うその老舗が、
現代に通ずる新たな業態で全国に展開する
簡単に言えば「セレクトショップ」。
その巡回展が、店舗のない盛岡で、初めて開かれたのだ。

大々的に周知されたかと言われれば、そうでもない。
ただ、それが良かったような気もする。
盛岡や近郊の、こだわりの店には、
それとなくこのフライヤーが置かれていた。
横の繋がりで、価値を知る人だけに伝われば十分、
そんな余裕すら感じた。

思えば「工芸」のある環境にあって、
それをどれだけ地元の人間が知っているかと問われれば、これは怪しい。
目の前に当たり前にあって、それを評価するという風土が希薄。
工芸に力のある、北陸や九州に比べれば。

むしろ外の人がそれを評価し、そこで初めて地元の人間が認識する。
例えば東京に行って、南部鉄器が想像以上に国際的な評価を受けているのに驚く。
そんな土地柄にとって、大きな後押しになったかも知れない。

潜在的な需要を目の当たりにして、驚いた。
こういったものを求めている人が、実は少なからず居るのだという事。
共感し得るモノ、コト、ヒトならば、
志ある人は行動を起こすのだ、という事。
もっとも、盛岡の消費者は、東京や仙台に大量に流れていますからね…

思えば「デザイン」という領域は、作る人よりも選ぶ人に左右される。
どんなに良いものも、それを評価し支え、購入する人がいなければ成立しない。
その審美眼もまた試される側で、選ぶ人が良くなければ、
いいものは残されないし、実現されない。

悪い例で言えば、どんなに公募したところで、
それを選ぶ人がダメならば、多数決ではとても共感を得られない。
「キャッチコピー」しかり「マーク」しかり「ポスター」しかり。
「なんでこんなもの選んだの?」という不満はよくある。
自治体のやり方にありがちな、「公平担保」ではあるが・・・

このイベントで目についたのは、
「緩やかに繋がりあう近在の店」である。
「共同企画」では重いが、「なんとなく関わっている感じ」
そんな拘束性の薄さ、自由度の許しが、いかにも盛岡らしい。

この期間、公会堂で売られているものが、同時に他店でも売られている。
大日本市に立ち寄る人がいかにもこのみそうな雑貨が、そこにある。
その「肩肘張らない感じ」に、心地よさすら感じた。

見る眼を持つ人が、しがらみに捉われることなく「思いを共感できる場」
それが盛岡には少ないのか?と疑ってもしまうが、
古くからの知人が言った言葉に集約されているような気がする。

「盛岡では、誰かがまとめ役になると、
あいつがやるなら俺は、と話がまとまらなくなる。
 みんなが一緒に、同じ流れに乗ればいい」

地方都市にはありがちな話ではあるが、良くも悪くも、
「ソト」の力が及ぶことによって動いてきた「ウチ」が
如実に示される。

このイベントは、まさに「流れ」そのものだった。
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